立川らく兵真打昇進披露落語会「火焔太鼓」と「茶の湯」

立川らく兵真打昇進披露落語会に行きました。二日間行われ、両日行った。

初日 「金明竹」立川談笑/「親の顔」立川志の輔/「洒落小町」立川志らく/中入り/口上/「火焔太鼓」立川らく兵

「苦節18年」という表現がぴったりの真打昇進である。本人は勿論だが、師匠である志らくが感慨深く口上を述べているのを聞いて、僕も感極まった。人間も良い、落語には一所懸命、談志の好きだった映画や昭和歌謡もこよなく愛する可愛い弟子…だが、酒の上がよくない。これまで謹慎、破門、復帰、亭号剥奪、前座降格と波瀾万丈の歩みをしてきたのも、ほとんどが酒によるしくじりだという。そういう“社会不適合者”だからこそ、落語家として大成してほしいと師匠として願っていることが伝わってきた。

志の輔師匠が「私の独演会にやって来て、袖で勉強しに来る後輩は沢山いるが、おそらく彼が一番回数が多いのではないか」と言っていた。それほどに勉強熱心なのである。そして、「あらゆる種類の破門の形を何度経験しても、また戻って来るらく兵も偉いが、それを迎えた師匠の志らくも偉い」とこの師弟を褒め讃えた。談笑師匠も「辞めちゃうんじゃないかと思ったこともあった。だから、この真打昇進はしみじみ嬉しい」。生き方が不器用だけども、根は真っ直ぐで純粋な男だと評した。

師匠志らくは今後の課題として、「これだけ面白い男なのに売れていない。それは努力不足だ。あとは売れるように努力して、立川流の顔になってほしい」と希望を述べた。

らく兵師匠の「火焔太鼓」。世の中をついでに生きていると女房に蔑まれる甚兵衛さんの愛嬌が良い。火焔太鼓を「時代がついている」と言って、古いもので損したのは、清盛の尿瓶、岩見重太郎の草鞋、蘇我入鹿の食べた鯨の缶詰、紫式部が読んだ赤旗、清少納言の食べかけの大納言…マシンガンのように繰り出すギャグは師匠志らく譲りだ。

太鼓を求めたいという殿様の屋敷に行く前に、女房が「こんな汚い太鼓を持って行ったら松の木に縛られるよ」と言って、巨大なアリに噛まれたり、100匹の毛虫が目の前を離れずに眼鏡みたいになったり、蝶が鼻と口の間に止まって口髭みたいになったり、右耳にミンミンゼミ、左耳にクマゼミが止まって重低音で鳴いたり、水虫の足袋を履かされたり、陰金の褌を身体に巻き付けられたり…次から次へと被害妄想が広がっていくのも愉しい。

殿様がこの太鼓は「世に二つという名器」と言って、「10万両、100万両、いや1000万両出す」と言うのを三太夫が何とか鎮めて300両にするのは新演出だ。三太夫に値を訊かれた甚兵衛も同様に「手いっぱい?10万両、100万両、いや1000万両」と調子に乗るのと符合するのが可笑しかった。

300両を50両包みで一個ずつ出されたときの甚兵衛の反応もらく兵師匠らしい。50両で「コッコッコッコ!」、100両で「ヒャ、ヒャ、ヒャ!」、150両で「リョー!」。300両のときには泡を吹いてしまうという、まるで漫画みたいな描写が面白かった。

サゲは「また太鼓を仕入れて売るんだ!」という甚兵衛に、女房が「ドンドン売っておくれ!」。真打昇進というおめでたい高座なので、「オジャンになる」を避けたのだろう。良い工夫だと思った。

二日目 「棒鱈」立川談春/「締め込み」柳亭市馬/「火焔太鼓」立川志らく/中入り/口上/「茶の湯」立川らく兵

談春師匠が立川流の若手たちに「らく兵はどういう男か」、訊いてみたそうだ。一様に「生真面目…だけど、突然キレることがある」。本人に趣味を尋ねると、「映画鑑賞、ちょっと読書」、ストレス発散は「美術館めぐり」でゴッホやルノアールが好きだと答えたという。そして、弟子の中でも一、二を争うほど師匠志らくを愛している。では、なんで何度も師匠をしくじってきたのか。

志らく師匠は「落語の筋はとても良い。だが、如何せん、酒癖が悪いのと矢鱈とキレる」と言って、これまでやらかしてきた具体的な“しくじり”を喋った。そして、こう言う。「歯痒いんです。芸は良い。談志が彼の顔を見て怒ったほどの個性を持っている。なのに売れない」。

志らく師匠は昨日らく兵師匠が演じて爆笑を取った「火焔太鼓」を、翌日にあえて演じた。そして、こう言った。「30年前、私は『火焔太鼓』を十八番にしていて、25分を15分で演って“ジェットコースター落語”と賞賛された。だけど、もうギャグなどが古くなっていて、きょう演っていて『らく兵の方が面白い』と思った」。最上級の褒め言葉ではないか。談春師匠をして「ここまで褒めるとは思わなかった。志の輔、談春、志らくの集客力で寄席定席がある団体の向こうを張ってきた立川流のこの先を考えないといけない。きょうは良い会に呼んでくれてありがとう」と言わしめた。良い披露目に来たと思った。

らく兵師匠の「茶の湯」。志らく師匠がかつてクレージー落語と呼ばれたが、それを彷彿とさせる高座だった。隠居と定吉の“風流な道楽”が狂気を帯びていて、とても面白かった。

消し炭を大量にガサッと入れ、マッチでボーッと火を点けて、渋団扇で仰いで、茶釜で湯をガボガボンと沸かす。青い粉はドクダミの粉、それを入れる“骨壺の小さいの”を、ナツメではなくハルミと呼ぶ。粉を掬うのは大仏の耳かきみたいだから、大仏ほじき。

“死んだイソギンチャク”みたいな混ぜるやつはシャッカチン。昔、お釈迦様がインドの山奥で悟りを開く修業をしていたとき、気晴らしにした茶の湯で悟りがチーン!と閃いた。心を鎮めるの「鎮」はチンと読むだろうという強引さが可笑しい。

シャカシャカと混ぜても泡立たないので、石鹸を買ってきて、面倒だから茶釜に直接入れちゃう。毛ガニを殺したときみたいですね、という表現も面白い。そして、その茶を飲む流儀も独特だ。まるでカマキリが横綱土俵入りをしているみたいな奇妙な動きの一つ一つが可笑しくて堪らない。

利休饅頭の件も、芋を蒸かして黒砂糖と蜜を混ぜるまでは普通だが、黒くするために墨汁を使い、燈し油で照りを出すという殺人的なお菓子を考案してしまう隠居と定吉の狂気に大爆笑の高座だった。