浪曲木馬亭定席 国本はる乃「子別れ峠」、そしてオレスタイル 春風亭昇太「貧乏神」

木馬亭の日本浪曲協会10月定席千秋楽に行きました。

「栃錦少年時代」富士琴哉・水乃金魚/「馬子唄しぐれ」東家三可子・玉川鈴/「神田祭」港家小そめ・沢村博喜/「子別れ峠」国本はる乃・沢村道世/中入り/「大石の最期」真山隼人・沢村さくら/「報恩出世俥」田辺いちか/「一本刀土俵入り」澤雪絵/「小田原の猫餅」玉川奈々福・沢村まみ

三可子さんの「馬子唄しぐれ」。“唄の治六”と言われただけことはある馬子唄を歌うのは流石。殿様を愚弄したと松本藩の若侍、宮岡貞之進が治六を斬った日から3年。妹のおせんが追分塚で兄の三回忌供養をしているところに仇の宮岡が現れた…。だが宮岡は目が不自由になっていたのは罪の報いか。罪滅ぼしに自分を斬ってくれと宮岡は言うが、おせんは墓で詫びてくれればよいという…。碓井峠に響く追分の情景が映し出された。

はる乃さんの「子別れ峠」が素晴らしかった。西山温泉を再訪した吉村夫妻は20年前に世を儚んで生まれたばかりの赤ん坊を農家の納屋に置き去りにして東京へ逃げたと馬車を運転していた与兵衛に告白するが…。

与兵衛はその赤ん坊にお絹と名付け、女房が死んで男手ひとつで育ててきた。今さらそんな話を聞かされても困る。お絹は自分にとっての可愛い娘だ。どんなに苦労して育ててきたか。それが本当の話だとしても育てた親の気持ちなど、捨てた人間にはわかるまい。お絹は離せない。もしもお絹を取られたら、わしは明日からどうして生きればいいのか。

お絹も自分が貰いっ子だということは知っている。母は風邪がもとで命を落とし、ずっと父に育ててもらった。だからこそ、親孝行したいのだと言う。旅館の佐野屋から馬購入のために金を借りた。高い利息を払うのがやっとで、十七歳のときから借金返済の代わりに後妻にくれと迫られ、黙って佐野屋に嫁ごうかと考えたことも何度もあると言う。

吉村夫妻は育ての親をこれほど思うお絹がいじらしく、「許しておくれ」と思うが、また一方でお絹を抱きしめて泣きたいという親心もある。だが、与兵衛とお絹の深い親子愛には敵わないと思い、綺麗な手提げ袋を託して去る。そこには佐野屋への借金は支払った、父娘の幸せを祈ると書いた手紙と現金が入っていた。

与兵衛はやめていた酒を飲み、お絹に「お前の親は俺一人だ」と言う。しかし、お絹が「あの二人は誰なのか」と訊くと、与兵衛は「おとっつぁん、おっかさんと呼んでやれ」。お絹は月夜の道を夢中で駆けて、「おとっつぁん!おっかさん!」と心の底から叫び、その声は秋の夜の峠にこだました。吉村夫妻は20年前と同じ涙で去って行く。感動的な場面が目に浮かぶ。

雪絵先生の「一本刀土俵入り」。貧乏と戦い、火事によって命を落とした母親の墓の前で土俵入りするのが夢だと語る、取的の駒形茂兵衛。その純情にほだされたお蔦は巾着の金と櫛と簪を渡し、取手宿から江戸に出るまでの路銀にするように言う。その10年後、横綱の夢は破れて侠客になった茂兵衛はお蔦と辰三郎を追っ手から逃がしてやることで、せめてもの恩返しをする。そこで見せるしがない姿の土俵入りに茂兵衛の熱い思いがこめられているのだろう。

奈々福先生の「小田原の猫餅」。元祖の餅屋を何とか救ってあげたいと招き猫ならぬ「戴き猫」を彫った甚五郎の人情。猫の掌に餅一皿の代金6文を載せると、その代金が消えるという…。その評判が広がり猫餅を求める行列が三里半連なり、恩知らずの向かいの勘兵衛餅の主人をギャフンと言わせるところに、この外題の妙味がある。

夜は「オレスタイル~春風亭昇太独演会」に行きました。「時そば」「貧乏神」「本当は怖い愛宕山」の三席。開口一番は春風亭柳好師匠で「浮世床~夢」だった。

「貧乏神」は小佐田定雄先生が桂枝雀師匠に宛てて作った創作落語。まず、主人公の怠け者ぶりが可笑しい。兎に角働くのが嫌で、女房に内職させるほどだから、とうとう女房のおみつは逃げてしまった。知り合いから25銭ずつ借りるのが味噌で、一遍に2円、3円借りると躊躇するが、25銭だったら気安く貸してくれるし、返してもらうことも忘れてしまうだろうという作戦だ。

でも、借りる相手がいなくなると、仕方ないので寝てしまう。その枕元に現れたのが貧乏神だ。貧乏神は男に「頼むから働いてくれ」と言う。貧乏から抜け出そうと頑張る心から養分を摂って貧乏神は生きているのだ。男のように徹底して働かないと終いには死んでしまい、管轄が貧乏神から死神に移ってしまう。これは貧乏神にとっては困り事なのだという。

男は働くにも道具箱を質に入れたので働けないという。貧乏神は仕方なく自分のズタ袋から金を出す。すると、今度は着物も質に入っていると言い、さらに金を貰う。その上、「腹が減った」と言って、金を貰う。「神様を強請るなよ!」と言う貧乏神の台詞が可笑しい。

暫くは男も仕事をしたが、2ヶ月でまた怠け癖が出た。仕事仲間の吉公が心配して訪ねると、部屋が綺麗だ。「誰かと暮らしているのか?」と訊くと、貧乏神と暮らしていると答える。このビンちゃんこと貧乏神が働き者で、洗濯の内職をしてくれて、その稼ぎで暮らしているのだという。男は貧乏神のズタ袋から金を出し、「飲みに行こう」と吉公を誘って出掛けしまった。

貧乏神が自分のズタ袋を確かめると、「やられた」。駄目だ、この男は俺がいたら駄目になっちゃう、別れようと考えた。そして、男にそのことを告げる。男は「俺はお前みたいな奴がいると甘えちゃう性分だからな。今まで面倒見てくれてありがとう」と礼を言う。

貧乏神は「そんな礼を言われると出ていけなくなっちゃう。貧乏神というのは嫌われ者なのに、お前は一度も嫌と言わなかった。お前のお陰で働く喜びを知った。銭だけじゃなくて、御礼を言って貰える、これが働くということなのだね。今までで俺が一番輝いていた時期かもしれない」と言う。

男は「俺がしっかりするときに、また来てくれ。辛くなるから見送らないぞ。風邪ひくなよ」と優しい。そして、「ビンちゃん、行く当てがあるのか?」と訊くので、貧乏神は「神社のお堂の下にでも住まうよ」と言うと、男は「次に行くところを世話させてくれ。吉公が女房に逃げられて、洗濯物が溜まっているみたいだぞ」でサゲ。貧乏神と男の友情物語みたいになっているのが可笑しかった。