鈴本演芸場七月中席 柳家喬太郎「死神」、そして桃花三十一夜 蝶花楼桃花「コンビニ参観」

上野鈴本演芸場七月中席七日目夜の部に行きました。柳家喬太郎師匠が主任を勤める「喬太郎企画ネタ尽きました、お客様決めてください」と銘打った興行。きょうは古典部門第2位の「死神」だった。

「黄金の大黒」三遊亭二之吉/「粗忽の釘」柳家小太郎/奇術 如月琉/「ナースコール」三遊亭白鳥/「はなむけ」むかし家今松/ウクレレ漫談 ウクレレえいじ/「睨み合い」林家彦いち/「馬のす」柳亭左龍/中入り/紙切り 林家楽一/「のめる」橘家文蔵/三味線漫談 林家あずみ/「死神」柳家喬太郎

喬太郎師匠の「死神」。クスグリを少しずつ挟みながらも、この噺が持つ不気味さ、それは人間の弱さや醜さにもつながると思うが、聴き終わって背筋がゾクッとなるような恐ろしさが残る、直球真ん真ん中勝負の素晴らしい高座だった。

死神が男にだけ死神が見えるようにしてやり、死神が足元にいたときに消すことのできる呪文を教える。決して枕元に死神がいる病人には手を出すなと念を押して。それはその死神と男に何か深い縁があったということではなく、「非番で休みだから。俺、道楽が人助けなんだ」と言う死神の台詞が逆に良い。

男に舞い込む依頼はなぜか「足元に死神がいる病人」がほとんどで、助けることができ、名医と評判があがった。たまさか枕元にいると「寿命ですから助からない」と言って去ると、本当に病人はすぐに亡くなってしまう。だから、生き神様ではないかと崇められるほどだ。男はこのまま幸せを享受していれば良かったのにと思う。

でも、人間というものは弱いものだ。金が入ると傲慢になる。女房や子供と離縁してしまう。若い女の子と面白おかしく遊ぶ方が愉しいからだ。お伊勢参りに上方見物…、でも金は使えばなくなるし、金がなくなれば、男に群がっていた女の子も蜘蛛の子を散らしたように去っていく。道理だ。

それじゃあ、また医者をやれば儲かると思ったら、そうは問屋が卸さない。今度は依頼が舞い込まない。舞い込んだところで、大概は枕元に死神がいる病人だ。自業自得ということだろうか。そして、男は横山町三丁目近江屋卯兵衛を助けるために禁断の枕元の死神に手をつけてしまう。布団半回転という反則技を使ってしまう。千両という金に目が眩んだのだ。

ざまーみやがれ。この手があったよ。もっと早く気づけば良かった。あのときの死神の面ったらなかったね。こわいものなしだ。この手を使えば、江戸中の金が集まるよ…男の高笑いに罪悪感はこれっぱかりもない。

男の前に再び現れた死神。人は病で死ぬのではない、寿命で死ぬのだ、その寿命をどうこうできるほど人間は偉いのか!ようやく自分の犯してしまった罪に気づく男だが、もう遅い。人の寿命を表した無数の蝋燭がある空間へ連れていかれ、お前の蝋燭は近江屋の爺さんと入れ替わってしまったと宣告される。

死神の台詞がもっともである。「お前は千両で命を売ったのだ。命の相場というのはよく判らないが、高いのか?安いのか?…お前は死にたがっていたろう。やっと死ねるぞ」。男は諦めきれないでジタバタするが、自業自得だ。それでも死神に情けがあって、燃えさしを男に渡し、今にも消えそうな蝋燭から移してみろと言う。必死になる男は哀れだ。

「消えると死ぬぞ。震えると消えるぞ。消えると死ぬぞ。ほーら、消えた」。男はその場に倒れて、ジ・エンド。人間の醜さ、弱さをえぐり出して投げつけられたような、胸に迫る高座だった。

「桃花三十一夜~蝶花楼桃花31日間連続独演会」第十七夜に行きました。桃花師匠が31日連続でネタおろしに挑戦する会、3回目の参加だ。前回の第十夜以降のネタおろしは⑪小野小町(菊池寛原作・春風亭小朝作)⑫クイズの王様(春風亭小朝作)⑬潔癖男子と汚嬢様(桂ぽんぽ娘作)⑭生徒の作文⑮地獄八景亡者戯(中)⑯尻餅。そして今夜が弁財亭和泉師匠の新作「コンビニ参観」だった。

「狸札」三遊亭東村山/「コンビニ参観」蝶花楼桃花/「船徳」春風亭与いち/「徂徠豆腐」蝶花楼桃花

「コンビニ参観」。和泉師匠は台本をきっちり作って演じる噺家さんなので、その台本をしっかりと自分の肚に落とし込んで演じていた。この噺は実に良く出来ていて、面白く、僕は大好きなネタだが、桃花師匠が演じても楽しく聴くことができた。特に東大1年生の山田君のお母さんが和服にフルフェイスのヘルメットをかぶってバイトの様子を観察するところ、可笑しい。こういうところは桃花師匠、達者である。

ゲストの与いちさんも新米船頭の徳さんの悪戦苦闘をユーモラスに演じていて、面白かった。徳さんの情けないけど必死な感じ、そしてそれを不安に思う二人の客のやりとり…。若手二ツ目が思い切って大きめのネタを演じる場を提供しているという意味においても、この桃花三十一夜は意義深い。