「ふくすけ 2024―歌舞伎町黙示録―」、そしてさん喬あわせ鏡 柳家さん喬「唐茄子屋政談」

「ふくすけ 2024―歌舞伎町黙示録―」を観ました。4度目の上演だそうだ。1991年にザ・スズナリ、98年に世田谷パブリックシアター、2012年にシアターコクーンで上演されてきた。そして今回のシアターミラノ座で僕は初めて観た。松尾スズキさんの代表作といえば、「キレイ―神様と待ち合わせした女」や「マシーン日記」(これらは複数回観劇している)だが、これらと再演回数が並んだ。やはり松尾スズキさんの根幹をなす作品なのだと思う。

プログラムの中でライターで書評家の豊崎由美さんが「4回目の上演でも毒は健在。健在すぎるほど健在」と題して文章を書かれている。以下、抜粋。

「わかりやすくした」とは松尾氏の弁だけれど、事前に上演台本を読ませてもらった限り毒は健在。健在すぎるほど健在。フクスケが、自分とセックスできるのか、できないなら親切にさせない、励まされもしないと、観衆に向かって過激な演説をぶつ長~い名台詞も、今の時代に合わせて少し変えてはあるけれど、ほぼそのままになっていて安心した次第。以上、抜粋。

松尾さんは「表面的な過激さや露悪には自分自身もう興味がなくなっている」と前置きしながらも、「不謹慎と言われることに怯えて萎縮する風潮には抗いたいし、綺麗事を一切描かないという矜持はあるんですけどね」とインタビューの中で語っている。

この作品が松尾スズキ作品の根幹をなすという意味では、初演のときに「生まれてくるタイミングやコンディションを選べない不平等や不条理への怒りがモチベーションだった」と言っていることを受けて、松尾さんはインタビューで次のように語っている。以下、抜粋。

自分は生まれて差別されるようなことはないはずなのに、子供の頃からなぜか周囲から浮いていて虐げられている感覚を抱えて生きてきたところがあって。そんな狂った歯車を巻き戻せない地元から出て行きたくて、学生時代まではずっと悩んでいましたね。不幸になる理由がないのになぜ自分は不幸を感じてしまうのだろう、という違和感や怒りは、僕の原点かもしれないね。

26歳で遅れて東京の演劇界に入ったとき、何も持っていないのにようやく自分の居場所が見つかった全能感みたいなものを感じたんだよね。今思えば、そんな自分の姿をフクスケに重ね合わせていた気がする。フクスケが監禁されていた14年間を、僕が演劇を始めるまでの26年間に見立てていたのかもしれない。以上、抜粋。

なるほど。そこが松尾さんの松尾さんたる所以であり、すごいことなのだなあと思う。主演のコオロギ役を勤める阿部サダヲさんがこう言っている。以下、抜粋。

松尾さんが20代後半で書いたこの作品には、当時の世の中に対する怒りみたいなものが込められていると思うんですよ。そして今の世の中、怒っている人、不満が溜まっている人が多い気がして、この劇の世界に追いついてきたように感じるんですよね。コオロギみたいな人、いそうですもん。不思議ですよね、30年以上経って、まさか今こんな世の中になるとは思っていなかったんじゃないかな。すごいですね、松尾さん。以上、抜粋。

本当に松尾スズキさんはすごい。かつてNHKの番組「トップランナー」に出演した松尾さんは好きな言葉を聞かれて、「平等です。だってあり得ないから」と答えた。それを聞いた高校3年生だった内田慈は「この人のいる世界に行きたい」と女優を志したという。そういう“凄さ”がビュンビュン飛び出している舞台に魅了された3時間だった。

夜は「さん喬あわせ鏡~柳家さん喬独演会」に行きました。「千両みかん」「船徳」「唐茄子屋政談」の三席。開口一番は柳家小きちさんで「出来心」だった。

「唐茄子屋政談」。「勘当、結構。お天道様と米の飯はついて廻る」と啖呵を切った徳三郎だが、乞食同様の格好で空腹に耐えかね、吾妻橋で会った伯父さんに「助けてください」と懇願する有り様。なのに、唐茄子を売って歩けと言われ、「みっともない」と返してしまう徳三郎は、やっぱり根性から叩き直さなければならない。

自分で稼いだことがない、店の若い衆が汗水垂らして働いて拵えた金を湯水の如く平気で使って遊んでいた。それこそが、みっともないことだ。箸より重たいものを持ったことのない徳三郎が、自分で荷を担いで唐茄子を売り歩くことで“金の有難み”を身に付けさせようという優しさが伯父さんにはある。さらに、その伯父さんの思いを知り、痛く感心し、“荷を軽くしてあげよう”と転がった唐茄子を売り捌いてくれる通りすがりの男も人情の厚い人物だ。

徳三郎はこうした人々の情けに触れて、自分が如何に駄目な人間だったかを思い知る。そして、自分も困っている人がいたら、助けてあげるような人間になろうと思う。それが、亭主が身に覚えのない罪を着せられ、その罪を晴らす旅に出ていってしまったために、何日も食べることができずにひもじい思いをしている貧乏長屋のおかみさんとその子どもに出会った。自分が食べるはずだった弁当を三歳になる男の子にあげ、さらに唐茄子の売り貯めをそっくりおかみさんに渡すことに繋がった。

更生するということは、そんな一筋縄ではいかぬものであろう。徳三郎がこの施しが奉行に評価され、青差し五貫文を頂戴すると同時に、勘当も揺れたという美談は安直かもしれない。だが、この噺に出てくる伯父さん、通りすがりの男、そして徳三郎の人情は普段の心掛けとして、かくありたいものであると思う。