真山隼人ツキイチ独演会「狐絵師」
真山隼人ツキイチ独演会に行きました。きょうは国友忠特集ということで、国友先生が自ら筆を執った「狐絵師」と「槍の剛八」の二席を沢村さくらさんの相三味線でうなる。さらに、さくらさんが所蔵していた平成10年10月の「第一回国友忠の会」の映像より、代表作の「猫虎往生」が上映された。曲師は沢村豊子師匠で、きょうの独演会の客席にもお見えになっていた。
「槍の剛八」。紀州の槍術指南役で200石取りだった三木剛左衛門は酒の上で諍いを起こし、三人を斬ってしまったために、藩を追放されてしまった。旧知の源助に中間として採ってくれるところはないかと相談したところ、花房平馬という侍がその働きぶりを気に入って引き取ってくれ、剛八と名乗る。
八カ月後、夜に剛八が目覚めて厠に行こうとすると、主人夫婦が腹を召そうとしているところを目撃する。すぐに止めに入る剛八は事情を訊くと…。剣術指南番を勤める等々力源五郎という男を退治せよという殿の命令に戸惑い、死を覚悟したという。「勝てば出世になること。勝てばいいじゃないですか」と言う剛八に、とても敵う相手ではないので腹を召すのだという。
剛八は平馬に自分の槍の使い分けを見せ、自分がその等々力某に立ち向かうから、その後に主人である平馬が続けば良いと申し出る。さあ、剛八は等々力某とどのような立ち合いをするのか?というところで、「丁度時間となりました」。残念な幕切れだった。
「狐絵師」。これはとても満足感のある高座だった。絵師、狩野吉信の出世譚として面白い。殿様から狐の絵を所望され、山に籠り、猟師の与八の捕った狐を買い取って絵を描こうとしていたが、上手く描けない。そのうち江戸にいる妻が病気になり、戻らなくてはならないので、もう狐は捕らなくてよいと与八に言うと、既に捕獲していた女狐を狐汁にでもして食うと言う。吉信はその女狐を哀れに思い、買い取って、逃がしてやった。狐は御礼を言って去って行くように見えた。
吉信が江戸に戻ると、妻は「もう全快した」と言う。「それもあなたが絵とともに送ってくれた薬のお陰ですよ」。母狐と子狐が戯れている様子を描いた絵は殿様が大層喜んで、褒美として50両を授かったという。
吉信はそのような絵も薬も送った覚えがない。いつ頃のことか?と訊くと、「七日ほど前だ」という。それは吉信が女狐を逃がしてやった日付と一致する。「私は立派な絵師になるために苦労をしてきた。それなのに、覚えのない絵で金を貰い、自分が書いた絵だと偽ることなど出来ない。本当に見事な絵を描いてこそ、本懐を遂げたことになる」。
吉信は山に戻り、この話を猟師の与八にする。「あなたは本物の芸術家の心意気を持っている」と与八は感心した。では、一体誰が絵を描いたのか?まさか狐が描くなんてことはなかろう。そんな話をしながら二人は酒を酌み交わしていると、吉信は寝込んでしまった。与八が風邪をひかないように半纏を掛けてやる。
吉信の前に「この山に古くから棲む狐」と称する狐が現れた。「あなたが助けてくれた女狐は親族にあたる。良かれと思って御礼に絵と薬を送ったのだが、かえって悪いことをしてしまった。お詫びに“真の狐の姿”を見せてやろう」と言う。捕らえて箱に中にいる狐は真の狐ではない。野にいる狐こそが真の狐というわけだ。そして、吉信に「絵筆の用意をしなさい」と言う。
やがて繁みから何匹もの群れをなした野狐が現れ、戯れているのが見えてきた。必死で絵筆を執る吉信。そこに、「起きてくだせい、旦那!」という与八の声。そう、夢だったのだ。だが、吉信は「今度こそ、私には真の狐が描ける」と言って、絵筆を執って見事な狐絵を描いた。
やがて、その絵は江戸中の評判を取り、狩野吉信は名人と言われる絵師となったという…。自分に嘘をつかず、自分が納得する絵を追求する絵師だからこそ、魂のこもった絵を描けるのだろう。それが名人というものだ。素敵な名人譚を聴いた。