日本浪曲協会七月定席 東家三楽「良弁杉」、そしてやっぱりビックショー
木馬亭の日本浪曲協会七月定席初日に行きました。
「深川裸祭の由来」港家柳一・伊丹けい子/「十返舎一九とその娘」三門綾・馬越ノリ子/「関孫六伝 恒助丸の由来」天中軒すみれ・沢村道世/「天保水滸伝 笹川の花会」玉川太福・玉川鈴/中入り/「秋田蕗」富士実子・伊丹秀敏/「寛永宮本武蔵伝 灘島の決闘」神田伯山/「侍子守唄」港家小柳丸・沢村道世/「良弁杉」東家三楽・伊丹秀敏
すみれさんの「恒助丸の由来」。恒平の熱い情熱に師匠である孫六が応える心意気に惚れる。山本勘助の家来だった津山恒平が関孫六兼元に身分を隠して弟子入り志願した理由を5年後に打ち明ける…「主人に決して負けない刀を持ってもらい戦の舞台に立ってほしい」という忠義に孫六は強く心打たれたのだ。
孫六の「刀は心で打つもの」という教えに従って、師弟が一つになって一心不乱に作り上げた刀に、恒平の恒と勘助の助を取って“恒助丸”と名付けた。そして、恒平は師匠からその腕を認められ、関孫六兼元の兼の一字をもらい、兼恒と名乗った。そして、恒助丸を授かった山本勘助は戦国武将として活躍したという…。一つの物事に集中する一念の大切さを教えてくれる。
小柳丸先生の「侍子守唄」。紀州和歌山の浪人の小牧新八郎は悪党の藤太に唆され、一緒に本郷の伊勢屋五兵衛夫婦を手に掛けて、200両の金を奪った。だが、新八郎は伊勢屋の二歳になる女の子を哀れに思い、自分の懐に入れて逃げた。そして、行き着いた遠州金谷でその赤ん坊をお花と名付け、自分の娘として育て、16年が経った。それで伊勢屋殺しの罪はぬぐえないが、せめてもの罪滅ぼしという意識があったのだろう。
そこに昔の共犯者である藤太が現れ、悪事が露見する恐れがあるので高飛びしたいから50両用立てろと新八郎を強請る。金がないなら、十八歳のお花を宿場女郎として叩き売ればいいと言う。それが出来ないなら、本郷伊勢屋殺しの件を奉行に密告すると脅す。藤太の方はとことん悪党である。「もはや夜逃げするしかないか」と新八郎が観念したとき、この話を陰で聞いていたお花が匕首で藤太を刺し殺す…。
お花は「あなたが悪いじゃない。16年育ててくれた大恩人。産みの親より育ての親」と新八郎を擁護し、奉行に願い出る。この裁きを担当するのは…何と、新八郎の許を22年前に家出して行方不明だった弟の新六郎!奉行に出世していたとは!さあ、どうなるのか?というところで「丁度時間となりました」。惜しい切れ場である。
三楽先生の「良弁杉」。親の子を思う心、子の親を思う心に感じ入る。畑仕事をしている最中に赤ん坊を鷹にさらわれてしまった母親のお沢は半狂乱になり、30年間探し続けた執念がすごい。そして、山城国の茶店で東大寺にお参り行った帰りの旅人から聞いた話。東大寺の良弁大僧正は赤ん坊の頃に鷹にさらわれたが、東大寺の僧侶の呪文によって奇跡的に助かり、その後修業を続けて大僧正になったという…。
お沢は夢中で奈良の東大寺に向かい、門番に「あの千年杉のところで待っていれば、お勤めで駕籠に乗った良弁大僧正が通る」と教えられ、待つ。そして、その姿を見て「我が子じゃ!腹を痛めて産んだ我が子に間違いない!」と確信し、訴え出る。証拠の品は赤ん坊に持たせていた観音像のお守り。「立派に成長されましたのう」と喜ぶお沢、良弁大僧正も母親との奇跡的な再会に感激したという…。たとえ離れ離れになっていても親子の間の情愛は永遠に絶えることがないのだなあと思う。
夜は新富町に移動して、「やっぱりビックショー」に行きました。
「牛ほめ」柳亭市遼/「蛇含草」三遊亭兼好/「妾馬」柳亭市馬/中入り/漫談 寒空はだか/「社食の恩返し」柳家喬太郎
兼好師匠の「蛇含草」。焼きたての熱い餅を「アツ!アツ!」と手にして、口の中に放り込むまでの仕草が何ともユーモラスで、それだけで愉しい。ちなみに、餅は噛まないそう。曲食いも出世は鯉の滝昇り、親猿と子猿のブランコ、三つの餅による太神楽とバリエーションがあって面白かった。
市馬師匠の「妾馬」。ガサツだけれど憎めない八五郎のキャラクターが愛くるしい。「お宅の大将のレコがあっしの妹」とか、「田中三太夫という人…三ちゃん!」とか、「友達に話すようで良い?殿様、苦労人だね」と言って胡坐をかいちゃうのとか。
すっかり打ち解けて、都々逸を披露するところ。♬悪縁か因果同士か仇の末か、添われぬ人ほど尚かわいい~。良い喉だ。「殿様の寄り合いでやったらいいよ」と言うのも可笑しかった。
喬太郎師匠の「社食の恩返し」。北海道ならではの食品や食材が出てくるのが面白い。やきそば弁当、ちくわパン。ワカサギの佃煮を作ろうとして、ウスターソースで茶色に煮込んだとか、マリモを天婦羅にしたとか、ヒメマスをルイベにするために体温で解凍したとか。普段自炊しない社会人三年生が、社食のおばさんに心尽くしをしようとする気持ちだけでも嬉しいではないか。