桂二葉独演会「青菜」

桂二葉独演会に行きました。「金明竹」「仔猫」「青菜」の三席。前座は三遊亭けろよんさんで「雪てん」だった。

「金明竹」。江戸落語だと与太郎もしくは松公だけれど、上方では丁稚の定吉。少々頭の回転が遅いところはあるが、そこを強調していないのが良い。“猫の断り方”を教えてもらって、旦那に目利きしてほしいという依頼に対し、マタタビ舐めさせてというところ、「旦那は股に足袋履かせて寝かせています」というのが可笑しかった。

「仔猫」。主人公のおなべさんは「働き者で、よく気が利いて、情があり、親切だ。どこぞのべっぴんを嫁に貰うより、おなべを女房にした方が良い」という奉公人の意見はルッキズムを否定する現代の風潮に合っていて良いと思う。

おなべが昼間はよく働いているが、夜中に怪しい行動をしているという店中の噂ゆえ、旦那は御寮さんと芝居見物に行かせているうちに彼女の葛籠の中を検めると…血みどろの毛皮が!こんな化け物は店に置いておけないと番頭さんがさりげなく暇を出す。

そのときにおなべが告白した真実…七つのときに猫の生き血の味を覚え、鬼娘と呼ばれて村を追い出され、この病が治るかと奉公していたが、今でも夜中になると猫を食らう癖が治らないという…。鳴り物も入り、怪談じみた噺になるが、「昼間は猫をかぶっていた」の地口落ちがいかにも落語的で好きだ。

「青菜」。植木屋の愛嬌あるキャラクターが全開の愉しい高座だ。「柳影ですか。大名酒じゃないですか。井戸で冷やすと最高なんですよね…味醂が少し入っていますね。子どもの頃、婆さんと一心寺の茶店で甘酒を飲んだ時、婆さんが味醂飲んでました」。「鯉の洗いですか。大名魚じゃないですか。酢味噌でなく山葵醤油で頂く?これ、藻草かと思ってました」と言って、いきなり山葵だけを口の中に放り込んで、悶絶するのが可笑しい。

旦那は植木屋の喋りを楽しんでいる風情がある。植木屋も旦那を立てる。「普通の人は庭木を任せきりにして、植木屋をほったらかしにする。旦那はちょいちょい覗きに来る。これは嬉しい、張り合いになります」。植木屋と旦那の人間関係がよく描けていると思う。

隠し言葉の件。「鞍馬山からうっしゃんとわかちゃんが来た?」。旦那が意味を説明すると、「菜はおまへん」で済む話と返すのが面白い。実際、自宅に帰った植木屋が女房にその話をすると、「わずかばかりの菜っ葉がいつまであると思ってけつかんの!この九官鳥!」。九官鳥には大笑いだ。

で、お屋敷ごっこ。柳影がないので、普通の酒で代用するのは仕方ないにしても、鯉の洗いの代わりが鰯の炊いたのも切らしていて、おからの炊いたのを風呂に行こうと誘って来た竹さんに勧めるのがすごい。鍋から杓文字で掬って、どこが鯉の洗いやあ!大工の竹さんに「植木屋さん!」を連呼する狂気、そしてこの暑いさなかに押し入れで汗だくになりながら待機している女房の根性。愉しい高座だった。