歌舞伎「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿」、そして一龍斎貞鏡「忠僕直助 誉の刀鍛冶」
六月大歌舞伎昼の部に行きました。「上州土産百両首」「義経千本桜 所作事 時鳥花有里」「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿」の三演目。
「三笠山御殿」は梅枝改め六代目中村時蔵襲名披露狂言だ。この興行で五代目時蔵が初代萬壽を名乗り、四代目梅枝の長男の小川大晴が五代目梅枝を襲名する。
この狂言の中で、通行人の豆腐買おむらを片岡仁左衛門、おむらの娘おひろを五代目梅枝が演じ、六代目時蔵演じるお三輪と絡む場面で劇中襲名口上があった。仁左衛門が六代目時蔵と五代目梅枝を温かく紹介するところ、何とも微笑ましかった。ちなみに、仁左衛門は四代目時蔵にお世話になったそうで、その玄孫がこうして晴れの舞台を踏むことを大変喜んでいるのが印象的だった。
また、お三輪が恋する烏帽子折求女を追って三笠山の曾我入鹿の館へ向かおうとするところ、大勢の官女がお三輪を取り囲んで弄ぶ場面。この官女が8人いて、歌六、又五郎、錦之助、獅童、歌昇、萬太郎、種之助、隼人という豪華な配役。この襲名披露興行を彩っているのも愉しかった。
六代目時蔵がお三輪を初役ながら、父の五代目を襲名したときと同じ「独吟入り」で勤めたところに意気込みを感じた。烏帽子折に身をやつしている実は藤原淡海である求女を愛し、蘇我入鹿の御殿に押し入り、恋敵である橘姫に仕える官女たちに苛められる。そして、橘姫と求女の婚礼を祝う声が聞こえてくると、お三輪は激しい嫉妬に燃える。このときの表情を「疑着の相」というそうだが、可憐な娘からの変貌ぶりをよく表現していた。
尾上松緑演じる漁師鱶七実は金輪五郎今国が真実を打ち明けるところ。すなわち、爪黒の鹿の血と疑着の相の女の生き血を混ぜ、鱶七が持っている笛に注いで吹くと、入鹿は鹿の性質を顕し、その音色に感じて正体を失うという…。お三輪は自分の命が入鹿を滅ぼす手立てとなり、それは恋しい求女の手柄になると判ると、寧ろ喜んで死を受け入れる純情に惹かれる。そして、未来で求女と夫婦となれるよう願いながら息絶える健気さに感じ入った。
「貞鏡の夢は夜ひらく~七代目一龍斎貞鏡真打昇進特別公演」に行きました。
「わんぱく竹千代」神田おりびあ/「山内一豊 出世の馬揃い」一龍斎貞鏡/「だくだく」三遊亭兼好/中入り/口上 貞鏡・兼好・貞奈/「忠僕直助 誉の刀鍛冶」一龍斎貞鏡
口上の司会は同じ一龍斎の二ツ目、貞奈さんが勤めた。兼好師匠は、お父さんの貞山先生が楽屋にいると、空気がピリッとした、まるで講談の世界から飛び出してきたような人だったと思い出を語る。そして、貞鏡さんが真打昇進で貞山を継がなかったのも、また次の目標として「貞山襲名」という山を見据えて精進していくという意気込みの顕われだろう、どうか九代目貞山を目指してほしいと激励した。
貞鏡先生の「忠僕直助」。冒頭の場面からかっこいい。直助が刀鍛冶の名人である津田越前守助広に直接弟子入り志願をするところ、直助の真っ直ぐな性格が良く出ていて心にグッとくる。助広も同様にその正直さに心を揺さぶられ、身元保証人がいないというところを目を瞑って、入門を許可したのだろう。他の門弟たちへの手前、以前に播州赤穂で知り合っていたという設定にして一芝居打つというのも、それだけ直助の心意気に助広が気に入ったということなのだろう。
そして三年の月日が経ったある日。松平安房守の注文の刀の留め槌の際、助広の向こう槌を入門10年の兄弟子である三八が担当するところ、直助が大胆にも自分に担当させてほしいと願い出る度胸がすごい。「三年では駄目で、十年だったら良い、修業というのはただ長いだけで決まるものでしょうか?」。この度胸に助広も条件付きで認める。「打ち損なったら、破門だ。その覚悟は出来ているんだな」。
直助はそのつもりであると言い、助広の向こう槌を担当する。トン、テン、トン、テン。すると、どうだ。助広が「お前の師匠は誰だ?どこで修業してきたんだ?お前は俺の技を盗みに来たな!」。直助は「私の師匠は津田越前守様です。他の誰にも教わっていません」と正直に答える。それほど直助の腕が素晴らしかったのである。助広は「10年から15年は修業している腕だ」と言った。すなわち、直助は並々ならぬ了見で3年間、修業してきたのだ。
そして、事情を話す。直助は赤穂藩の家来、岡島八十右衛門の中間だった。岡島が八月十五日の月見の宴で、大野黒兵衛から自分が持っている刀が余りにもみすぼらしいために、「刀は武士の魂。お前は犬侍だ」と罵られた。そのことが悔しくて、直助は大坂に刀を求めにやって来たが、そのうちに「自分で拵えた方が良いのではないか」と思い、名人である津田越前守に入門を志願したのだった。
これを聞いた助広はその忠義に痛く感心し、「よく私の弟子になってくれた」と感激、直助を養子に取った。直助はめきめきと腕を上げ、津田近江守助直と名乗る。そして、丹精こめて出来上がった二振の大小を持って、赤穂の岡島八十右衛門の許に行き、献上したという…。
貞鏡先生は薄っすらと涙を浮かべながら、この読み物を読んでいるように見えた。僕も心の中で涙を流した。素晴らしい高座だった。