春風亭柳枝「唐茄子屋政談」、そしてむかし家今松「蓮台奇縁」

「柳枝のごぜんさま~春風亭柳枝勉強会」に行きました。「ちりとてちん」と「唐茄子屋政談」の二席。

「唐茄子屋政談」。「勘当、結構!お天道様と米の飯はついて廻る」と豪語していた徳三郎だが、散々にひもじくて惨めな思いをしたはずなのに、かぼちゃを売って歩けと叔父さんに命じられ、つい「勘弁してください。知っている人に見られたらみっともない」と口走ってしまった…。それに対して、叔父さんが「川へ飛び込んで死ね!荷を担いで売って歩けば、立派な商人だ。何がみっともないだ!他人の銭で遊ぶからいけないんだ。てめえの稼いだ銭で遊ぶなら、喜んで一緒に遊んでやる」。了見を叩き直してやろうという愛情を感じる。

田原町で転んで担いでいたかぼちゃを路上にばら撒いてしまったときに、徳三郎から勘当した経緯を聞いて、親切に売るのを手伝ってくれた人が言う。「叔父さんはお前を真っ当な人間にしようと考えて、かぼちゃを売りに出した良い人なんだ…ここに2つ残っている。これくらい自分で売れ」。この人も他人ながら、徳三郎が真人間になるように応援しているのが伝わってくる。

吉原田圃。向こうに吉原を見ながら、徳三郎が「自分で稼いで、吉原に叔父さんを連れて行こう。そして、この女が俺を騙した女です!って、紹介してやろう」。吉原の人間なんて皆嘘つきだと言いながらも、「でも、可愛かった。ついつい、その気になっちゃった」と懐かしむのも、自分が道楽に溺れたことへの反省を踏まえているのだろう。寄せ鍋を花魁と二人でつつき、三味線をつま弾かせながら、♬のびあがりを唄ったことを思い出している。のびあがり のびあがり 見えども見えぬ後ろ影 ええじれったいと思わず嚙み切る房楊枝~。

誓願寺店で三日もおまんまを食べていない母子に売り溜めを全部渡したのは、自分がひもじい思いをしたからこそ出た行動なのだと思う。首を括った母親も助かり、お奉行に訴えて、因業大家は罰せられ、徳三郎は青差し五貫文の褒美を授かった。勘当は揺れたが、徳三郎は実家に戻らず、立派な青物問屋を営んだという終わり方、叔父さんが了見を叩き直してくれた恩義、そして何よりも「初心忘るべからず」という思いが徳三郎にあったという余韻を残していて、とても良いと思った。

上野鈴本演芸場六月中席千秋楽夜の部に行きました。今席はむかし家今松師匠が主任で「梅雨時に聴く今松噺十選」と題したネタ出し興行だった。①井戸の茶碗②笠碁③お化け長屋④水屋の富⑤江島屋⑥三軒長屋⑦品川心中⑧唐茄子屋政談⑨お若伊之助⑩蓮台奇縁。千秋楽のきょうは藤田本草堂作「蓮台奇縁」だった。

「初天神」隅田川わたし/「からぬけ」金原亭小駒/ジャグリング ストレート松浦/「ざるや」金原亭小馬生/「一目上がり」入船亭扇七/「引越しの夢」春風亭百栄/三味線漫談 林家あずみ/「お菊の皿」五街道雲助/「棒鱈」三遊亭歌奴/中入り/ものまね 江戸家猫八/「生徒の作文」古今亭駒治/紙切り 林家楽一/「蓮台奇縁」(藤田本草堂作)むかし家今松

今松師匠の「蓮台奇縁」。箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川。東海道を旅する人にとって、大井川は鬼門で、人足が蓮台(れんだい)と呼ばれる台に人を乗せて横幅1キロほどある川を渡った。だが、大雨が降ると“川留め”と言って、その蓮台の運行がなくなってしまう。そのため、雨が何日も続くと川を挟む形で存在する島田宿と金谷宿に長逗留しなければならず、散財してしまう。また、そこにつけこんで宿賃を釣り上げる悪徳な旅籠もあったようで、それが原因で路銀が尽きて身投げしてしまうとか、宿場女郎として叩き売られるという悲劇もあったという。この噺はそんな大井川をめぐる人間ドラマだ。

島田宿の旅籠・田島屋の主人、西村善兵衛は隠居の身で、川留めに遭った客の中で一芸のある人を別荘に案内し、もてなしをするのを道楽としていた。今回は4人が案内された。五十歳の詩の嗜みがある医者夫婦、三十六歳の絵師、それに二十五歳の俳諧師。なぜ、このようなもてなしをしてくれるのか?疑問に思った4人は善兵衛に訊くと、善兵衛は自分の身の上話をはじめる…。

自分は二十六歳までは江戸にいて、ある店の長男だった。だが、酒、博奕、吉原と親が手を焼く放蕩息子。一方、四歳年下の弟は真面目一本槍で親の信用も篤かった。父親は長男の自分の性根を確かめるために、名古屋の取引先まで行って百両を預かってくるという仕事を任せた。そのまま上方まで出て、そっくり使っちまおうとも思ったが、これできちんと百両を江戸へ持って帰ったなら独り立ちを許そうと考えている父親に対し、きっちりと仕事をして鼻を明かしてやろうと考えた。先方で丁重なもてなしを受け、百両を懐にして、用心しての帰り道、袋井辺りで雨が降り始め、やがて土砂降りとなって、どうやらこうやら金谷に着いた。

大井川を渡れば島田宿だ。蓮台の順番待ちをしていると、自分のすぐ後ろから“川留め”という。運が良かった。そこへ人足頭がやって来て、この母娘二人を“おすくい渡し”させてくれないかというお願いだ。蓮台の上には正当な客が乗るが、他の客をその下に掴まってもらって二人の客を渡すというやり方だ。蓮台の上の客の命は人足が守る義務があるが、おすくい渡しの客は「流されても流された者が悪い」、すなわち人足に責任はない。よっぽど泳ぎに心得のある人でないと選ばない渡り方だ。その母娘はその危険な方法を選んだというわけだ。

途中、娘が川の中頃の流れが速いところで流されそうになるが、晒一本を命綱に必死に掴まり、何とか川を越して島田に着くことができた。礼を言う母娘。「我が家は田島屋という旅籠をしています。一休みしてください」。そのとき、自分はしっかりと身に付けていたはずの百両がないことに気づいた。川で失くしたのか…。

田島屋に着くと、母親が「娘の命の恩人だ」と亭主に紹介。「何日でもご逗留ください」と言われたが、正直に金を失くしたことを打ち明ける。だが、それが百両だったとは言えなかった。「路銀なら融通する」と言ってくれたが、百両を持たずに江戸へは帰れない。縁はなかったと考えた。不憫に思った田島屋主人は私を手代として雇い、その後に番頭格にまでなり、親類縁者同様の扱いをしてくれた。

田島屋母娘が「おすくい渡し」という危険なことをなぜしたのか?と問うと、掛川で親戚の法事があり、その帰りだったが、翌日に娘の見合いがあるために何としても島田に戻らなくてはならなかったと知った。だが、その見合い相手が病弱を理由に縁談を断ってきた。そして、私と娘は恋に落ち、田島屋の婿として迎えてくれた。そう言うと、奥から招き入れ、「これがその時の娘、家内です」。金谷と島田の間を流れる大井川と天の悪戯によって、中には一生を棒に振る人もいるが、不思議な縁で繋がり、先代が亡くなり、田島屋を受け継いだ。先代の七回忌のとき、ようやく家内にあのときに失くした金は百両だったと打ち明けることができました。以来、私は恩返しだと思って、こうやって川留めで長逗留している一芸のある人をおもてなしするようになったのです。

田島屋主人の善兵衛の身の上話が終わると、俳諧師が訊いた。「それっきり、江戸のご実家へは行かれていなんですか?失礼ですが、ご実家はどちらで?」。すると善兵衛が答える。「浅草蔵前の札差稼業、小口屋喜兵衛です」。それを聞いて、俳諧師は「ご主人は太兵衛さんですか?」「はい」「私は喜兵衛の孫です」。そうなのだ。俳諧師は田島屋善兵衛、いや太兵衛にとって弟の息子、つまり甥っ子だったのだ。「弟は元気ですか?」「はい。ですが、祖父と祖母は亡くなりました」「私は親を捨て、家を捨て、親の死に目にも会えなかった不孝者です」。

いや、そんなことはないだろう。事情が事情だったのだ。これも運命だったのではないか。三十六年という歳月は取り戻せない。さぞやるせないだろう。だが、今こうして田島屋善兵衛として生きていることは決して間違いではないような気がする。素晴らしい人間ドラマをありがとうございました。