古典芸能を未来へ 神田伯山「お岩誕生」神田松鯉「乳房榎」
「古典芸能を未来へ~至高の芸と後継者~」に行きました。
「阿武松緑之助」神田伯山/舞踊 浦島 坂東巳之助/「お岩誕生」神田伯山/中入り/舞踊 与一の段 尾上菊之丞・市川染五郎・藤間紫/「乳房榎」神田松鯉
伯山先生の「お岩誕生」。飯炊きの伝助が仕えている高田大八郎の着物に血がついているのは、「猫が鼠を食らったときの血だ」とし、「二階へは絶対に上がるな」と言って出かけたところから既に怪談らしい空気が出ている。そして、伝助が炊いた飯に天井から血がポタポタと垂れ、気になった伝助が二階に行くと長持には真っ二つになった男の死骸…。
そこへ帰ってきた主人の高田が震える伝助を見て、「見たな」。死んでもらおうと言う高田に伝助が命乞いをすると高田はその死骸の正体を明かす。霊岸島川口町三丁目の伊勢屋重助から借りた3両が返せず、しつこく催促する重助を斬った。懐に73両あったので、「香典代わりにもらった」と言う高田に対し、伝助が「そりゃあ、アベコベだ」と言うと、「世の中はすべてアベコベで出来ているのだ」と言い切る高田の台詞に奥の深さを感じる。
命を助けてもらう代わりに死骸を棄てて来いと命じられて、死骸を合羽に包んで背負って出た伝助だが、臆病な性格ゆえに棄てられない。とうとう女房おつながいる自宅に着いてしまった。お腹に子を宿しているおつなに対し、寝ていてくれと言って、死骸を押し入れの中にしまい、伝助は出掛ける。重助の女房のおふみに知らせに行こうと思ったのだ。
しかし、おふみは既にこの世から去っていた。亭主の帰りが遅いために、探し歩いていた。「宿(亭主)はここにおりますか」と聞いて廻るおふみの描写が哀れだ。そして高田大八郎の家に辿り着き、おふみは高田に小刀で喉を突かれ絶命したのだ。
一方、おつなは盆を返すような雨に目を覚まし、伝助が帰っていないことに気づく。足音がする。玄関先でピタリと止まる。お腹の赤ん坊が腹を蹴る。それは外にいる者に話しかけてはいけないという合図のようだ。「どなた?」と訊くと、「宿はここに?」。「おふみと申します。霊岸島川口町三丁目伊勢屋重助はいませんか?」「いませんよ」「いますよ」。赤ん坊が腹を蹴る。この女を家の中に入れてはいけないという合図のように。女は小刀が刺さったまま、血を流し、この世の者ではない。「宿はここへ?」。
おつなは金縛りにあい、声が出ない。お腹の中の赤ん坊だけは守らねばと必死だ。おふみは奥へ奥へと入って来て、押し入れの前に立つと、ゆっくりと開けた。「あった。ありました」。重助の生首を大事そうに懐に入れる。「あった。あった。宿はここへ」。
これを目の当たりにしたおつなはショックの余り、絶命してしまった。だが、それと同時にお腹の中の子を産み落とす。可愛い女の子だった。これが後のお岩である。照明と音響を効果的に演出した、素晴らしい「四谷怪談」の序開きだった。
松鯉先生の「乳房榎」。南蔵院に泊まり込みで龍の絵を描いている菱川重信の隙を見て、重信女房のおきせを悪党の手口で口説き、不義密通を働いた磯貝浪江。さらに重信を亡き者にして、おきせを自分のものにしようとする企みと、重信暗殺の後に亡霊となって現れる怖しさに重点を置いた演出が優れていた。
陣中見舞いを装って、下男正助を料理屋に誘い、自分と兄弟になってくれないかと頼んで承諾してもらった後、おきせとの密通を打ち明ける段取り、浪江にぬかりはない。ついては先生の命を奪う手引きをしてほしい、それを断ればこの場で斬り殺すと迫られた正助は先生を裏切ることはできないが、自分の命も惜しい。仕方なく「やります」と返事をしてしまうのも、浪江の威圧に負けたということだろう。
息抜きに落合で螢狩りに行きましょうと重信先生を誘い出した正助は、浪江に指示された通りに田島橋のところで蹴躓いたふりをして提灯の火を消す。怪我はないか?と重信が助け起こそうとするところを、待ち伏せていた浪江が一刀の元に斬り捨て、胸を突いて、絶命させる。
打ち合わせ通りに正助が「先生が盗賊に襲われた」と南蔵院に帰るが、寺の和尚は「何の戯言を言っているのだ。先生は先に帰って、本堂で絵の仕上げにかかっている」。正助が中を覗くと、いつものところに重信先生がいる。だが、どこかげっそりと痩せこけて白い顔に見える。絵を描き終えたと見えて、重信と署名し、落款を押した。
そして、重信が正助の方を見る。目と目があった。「正助、何をそこで覗いておる?」。正助がギャーと絶叫すると、寺の男衆が駆け寄った。本堂を見ると、天井の龍の絵は見事に仕上がってしたという…。
菱川重信の執念が最後に亡霊に絵を完成させたのだろうか。松鯉先生の“芸の力”で聴かせる高座は圧巻だった。