神田伯山独演会「南部坂雪の別れ」

三鷹市公会堂の神田伯山独演会に行きました。「小政の生い立ち」「出世浄瑠璃」「徂徠豆腐」「南部坂雪の別れ」の四席。開口一番は神田青之丞さんで「長短槍試合」だった。

「小政の生い立ち」。口八丁手八丁の達者な12歳の少年、政吉の切なる願いが良い。清水次郎長親分の子分になりたい。喧嘩が好きとか、博奕が好きとか、そういうのじゃないんだ。枕が上がらなくなった母親を安心して死なせてやりたんだ。お上から青差し五貫文をもらったこと以上に、次郎長が子分にしてくれると約束してくれたことが、何よりの親孝行であり、そして冥途の土産になったのだと思う。

「出世浄瑠璃」。碓井峠において尾上久蔵と中村大助が聴かせてくれた「積恋雪関扉」、この場限りで他言はせぬと約束した松平丹波守だったが…。3年後に同じ碓井峠で伊賀守と紅葉を愛でたときに、ついポロッと口外しそうになったときに出た“暴れ猪退治”という作り話。

これに柔軟に対応した尾上久蔵が語る“武勇伝”が、講釈師顔負けというところが、この読み物の聴きどころだろう。尾上、中村2名に対し、伊賀守が100石の加増をしたという美談が良い。さらに3年後、丹波守は伊賀守に真相を打ち明けるが、そのとき尾上、中村2名はその石高に相応しい働きをしている心強い武士であることが何ともめでたいことだと思う。

「徂徠豆腐」。荻生宗右衛門が上総屋七兵衛に「細かいのがない男が大きいのがあると思うな」と一文無しであることを打ち明けたとき、「二丁以上食べたら、豆腐屋さんに悪いと思った」という台詞に上総屋が感銘を受けたところがいい。「命を長らえるだけにとどめる。悪い人じゃない。気に入った」。以来、毎日おからを届ける。

女房がそのことに気づき、「おむすびを持って行ってあげれば」と提案して持って行ったときにこれを拒む荻生の返答が素敵だ。「売り物はいずれ金子にして返すことが出来る。おまんまを貰ってはそれが出来ない。それが侍としての矜持だ」。

火事で丸焼けになった上総屋のために、豆腐屋を再建してあげた男の登場シーンは目に見えるように鮮やかだ。駕籠に乗って出てきた立派な身なりの侍、その男こそ、柳沢出羽守に仕官が叶い、800石取りに出世した荻生徂徠その人だった。「覚えているか?細かいのがないのに、大きいのがあると思うか…」。上総屋夫婦の喜びいかばかりか。

「南部坂雪の別れ」。伯山先生が「義士伝の中で一番好きだ」というだけあって、思い入れたっぷりの名演である。

城代家老・大石内蔵助が寺坂吉右衛門を伴い赤坂南部坂の瑤泉院の屋敷を訪ねる。仏門に入り、この日を一日千秋の思いで迎えた瑤泉院の「いよいよ、そのときが近いのであろう?討ち入りの日が近いのであろう?」とう問いかけに、大石は「京都山科に戻る報告に参りました。討ち入り?人の気持ちは変わりやすいもの。今やそんなことを考えている者は誰一人いません。もし、吉良邸討ち入りが失敗すれば、物笑いの種になるだけです」。

瑤泉院を取り巻く8人の腰元の中に上杉や吉良の間者がいるかもしれない。そこから討ち入りの計略が漏れたら、水の泡である。瑤泉院様もあと半日経てば、判ってくれる。今は偽りの言葉を言うことが忠義である。大石はそう考えた。

それでも瑤泉院は執拗に訊いてくる。「わかっておる。この中に吉良の間者がいるかもしれないと思っているのだろう。心配ない。安心いたせ。討ち入りは近いのであろう?殿の最期の言葉を受け取ったのは、そちであろう?」。これに対して、大石は心を鬼にして言う。「殿のご短慮により、私は三千石の家老から痩せ浪人に成り下がってしまいました。恨みこそあれ、仇討など毛頭考えたこともありません。殿におかれては自業自得かと」。殿の位牌の前できっぱりと言い張った。

瑤泉院は大石を畜生侍、犬侍と罵り、持病の癪が起きたと言って、「二度とこの屋敷に顔を見せるでないぞ。立ち去れ!」と自分の部屋に戻った。見送る戸田局が大石に別間で自分の兄弟の消息を大石に尋ねる。兄の小野寺十内は京祇園で幇間をしている、弟の幸右衛門は車力として野菜などを運んでいる。二人とも町人の方が気楽だと言って、刀も質に流してしまったという。

大石は別れ際に紫の袱紗包みに入った“腰折れ歌”を戸田局に渡す。「瑤泉院様が必ず喜んでくれる品です」。そして表に出た大石。「雪というのは美しい。一点の曇りもない。侍とはかくありたい…あと半日で、皆が判ってくれる」。

“腰折れ歌”は仇討同士連判状だった。戸田局が瑤泉院に、その連判状に名を連ねた四十七人の名前を読み上げて聴かせるところ、圧巻だ。

「内蔵助はどのような思いで、何を告げに屋敷へ来たのか」「おそらく、別れを告げに」。伯山先生が「一番好きだ」という読み物の魅力を噛みしめた。