歌舞伎「平家女護嶋 恩愛麻絲央源平」、そして三遊亭志う歌「あはれ浮世」

初春歌舞伎公演「平家女護嶋 恩愛麻絲央源平―SANEMORI PARTⅡ」に行きました。

一幕目「平家女護嶋」の二段目に当たる「鬼界ヶ島の場」、通称「俊寛」はとても良かった。團十郎の「俊寛」は2019年1月に同じ新橋演舞場で海老蔵時代に演じた舞台を観て、良かったのを覚えている。今回は俊寛の妻、東屋(片岡孝太郎)が平清盛に言い寄られるが、操を守って自害する場面が入ったので、より俊寛の哀愁を感じることが出来た。遠く離れた夫を思う東屋の苦悩と悲哀だけでなく、南海の孤島に流された俊寛が妻の死を知って、流人仲間の少将成経が契った千鳥を船に乗せて自らは島に留まる決断の場面が胸に迫る。

幕間30分を挟んで、三段目に当たる「朱雀御所の場」なのだが、これが僕の読解力ではどうしても楽しめなかった。歌舞伎公演では200年以上ぶりの復活狂言だそうで、「平家全盛の世に源氏再興を願い自らの運命を切り拓こうとする人々を通じて、現代にも通じるテーマである“家族の絆”を描いた」のだそうだが、僕の力不足ゆえに理解できなかった。

團十郎が常盤御前と斎藤実盛の二役。新之助が常盤御前の息子、牛若丸後に源義経を演じ、ぼたんが実盛の娘、ひな鶴を演じる。その趣向は早替りも含めてケレンとしては面白いと思うのだが、ストーリー展開が僕にとっては難解になってしまった。後で調べたら、原作では源氏の家来、弥平衛宗清が担っている役割を、本作では源氏に心を寄せる平家の侍、斎藤実盛に置き換えているのだそうだ。

取材会で團十郎は「源氏と平家、別々の親子愛がかなりしっかりとした骨組みの中で描かれた作品です。人間関係をきちんと理解した上で母として父としてそれぞれの情愛を演じ分けたいと思います」と語っている。この骨組みと親子の情愛が僕にはよく理解できなかったのが残念でならない。

夜は「三遊亭志う歌・田辺いちか二人会」に行きました。

「転失気」三遊亭東村山/「神崎与五郎東下り」田辺いちか/「あはれ浮世」(上)三遊亭志う歌/中入り/「三方目出鯛」田辺いちか

志う歌師匠、談洲楼燕枝作品。ビクトル・ユーゴー作「レ・ミゼラブル(ああ無情)」を燕枝師匠が翻案した長編落語で、70分あった。それでも、噺の前半だそうだ。熱演だった。

主人公の吉五郎は19年の牢屋暮らしを終えて、江戸処払いになる。そのとき、40歳。神奈川宿の茶店で飯を食おうとすると、穴熊重太が茶店の親父に耳打ちをして、吉五郎は「牢払いに飯は食わせない」と言われてしまう。ようやく井戸を見つけるが、釣瓶がなくて水を飲むことができない。そこに、三利江宗伯の屋敷のお半がやってきて、親切に釣瓶と柄杓を持ってきてくれ、水を飲むことができた。

お半が事情を聞くと、吉五郎は“悪玉吉五郎”と仇名されて、“汚れるから”という理由で、宿屋にも泊まれないどころか、飯もろくに食えないと言う。宗伯は可哀想に思い、飯を食べさせ、床をのべてやる。一方、お半のところに、新三郎がやって来ると「五カ月、月の汚れを見ない」と告白、新三郎は一緒になろうと、駆け落ちの約束をする。

宗伯は吉五郎に「19年の話をしてくれ」と頼む。吉五郎は21歳のときに牢に入った。両親とは幼いときに死別。姉がいて、7人の子どもがいたが、亭主が死んでしまって、吉五郎は8人を食わせなきゃいけなかった。米屋で白米3升を盗んで80日入牢した。そのときに牢破りがばれ、刑期が延びに延びて19年になってしまった。

19年の稼ぎがたったの3両2分。それと奉行の書付を持っているという。その話の途中で女中が宗伯のところに銀の香炉を持ってきた。「良い出来栄えだ。100両はくだらない」と言って、棚の上に置いた。中庭に人の気配がする。お半が駆け落ちをするために裏木戸から出て行ったのだった。

吉五郎は銀の香炉を盗みたいという欲望に駆られた。生涯楽に暮らせる。「お貰いします」。そう言って、棚から香炉を盗み、手を合わせて、裏木戸から出た。そのとき、女中が「泥棒だ!」と叫ぶ。「お半がいない。香炉がない」。宗伯は落ち着いて、「お半はあの男と駆け落ちしたのであろう。あの香炉は世間を順繰りめぐって、今、手元にあるだけだ。いいんだよ、これで人が助かるなら。お天道様への奉公だ」と言う。

北町奉行の御用聞き、蛇の道鬼兵衛が「香炉を盗んだ奴を捕まえた」とやって来た。吉五郎である。だが、吉五郎は「貰ったものだ」と言い張っているという。宗伯は「その通り。縄をかける意味がない。解いてあげてくれ」と言う。そして、吉五郎に問う。「どうして欲しいのなら、欲しいと言わぬ?…あげましょう」。「申し訳ない。恩を仇で返すような真似をして」と吉五郎は目に涙を浮かべて言う。

宗伯は「あなたの19年を香炉で買い取りましょう」。そして、香炉を金に換えて商売をして、稼いだ金で困っている人たちを助けてあげてくれという。「私も三十くらいまで盗み、騙りを繰り返し、何千両という金を扱った盗賊だった」という。そして、お天道様への奉公として、困っている人たちを助けてきた。「お前さんに後は任せた。お天道様への奉公をしてくれますか?」。吉五郎は「必ず奉公します」と誓った。

5年後。安政の大地震があった頃。町年寄の萬利蓮左衛門の見事な働きぶりが評判になった。この蓮左衛門こそ、悪玉吉五郎だった。浦賀の御用所の御用聞き、蛇の道鬼兵衛が衣笠屋の亭主に乱暴した罪でお半を連れて来た。鬼兵衛が言う。「旦那、この女をご存知では?」。吉五郎がお半に訊く。「俺のことを覚えているか?新三郎と駆け落ちしたお半だよな?」。お半も思い出す。「あのときの吉五郎様…」。紙と筆を持ってきてくれと頼み、お半は「娘のお節のことをよろしく」としたため、胸が痛いと言ったまま、息を引き取った。

鬼兵衛が蓮左衛門に役目の御免願いを出したいという。「町年寄の下で働くのが嫌になった。江戸へ帰る」と言い、「お前さん、悪玉吉五郎じゃありませんか?目の奥に光る悪巧みが見える」。蓮左衛門は「吉五郎はとうに死んだ。迷惑だ」と返す。

そこに鬼兵衛の子分がやってくる。「親分!鎌倉で吉五郎を捕まえました。検分願いたい」。小笠原道兼が裁くことになる。蓮左衛門こと吉五郎は「どこの誰だ?助けてやらなければ」と思う。捕まった“吉五郎”は鎌倉で寺男をしている林蔵という男だった。3人の“見知り人”が「間違いなく吉五郎だ」と証言する。佃の寄せ場で一緒だった源太。浅草の溜まりで一緒だった松蔵。伝馬町の牢で一緒だった金八。

だが、萬利蓮左衛門が小笠原に言う。「この男は吉五郎ではございません。一つだけ確かなことがあります。悪玉吉五郎はこの私です!」。3人の見知り人について本当の吉五郎にしか言えない詳細な情報を申し述べる。「お裁き、お受けします」。香炉を貰って150両に換え、商売を始めて繁盛した、そして貧しくて困っている人々を救い、町年寄になったことを明かす。三利江宗伯は3年前に死んでいた。

奉行所から御触れが廻った。吉五郎という牢破りを捕まえると20両の賞金が出るという。有明で商売をしている穴熊重太のところへ、鎌倉から駕籠に乗ってある男がやって来た。重太のところには娘のお栄と、お半から預かっている娘のお節がいた。その男はお節を見て、「お半によく似ている…お前さん、おっかさんに会いたくないか?」と訊く。そして、重太夫婦に“お半の書付”を見せた上で、都合18両を渡して、お節を引き取って行ってしまった。

その直後、蛇の道鬼兵衛が重太のところにやって来る。「お半から娘を預かっていないか?」。「今さっき、男がその娘を引き取っていきました」「その野郎が悪玉吉五郎だよ!」。鬼兵衛と重太は追いかける。吉五郎とお節は命からがら山道、そして断崖絶壁を抜けて逃げていく…。

「さあ、この後はどうなりますか」と言って、噺は終わった。大変に聴き応えがある作品だった。いつの日か、(下)を聴きたいと思う。