日本浪曲協会十二月定席二日目、そして講談!ザ・忠臣蔵!!
木馬亭の日本浪曲協会十二月定席二日目に行きました。きょうは企画公演で「浪曲でわかる忠臣蔵」という特集だ。
「不破数右衛門の芝居見物」玉川き太・玉川みね子/「風流形見の短冊」東家千春・伊丹秀敏/「勝田新左衛門妻子別れ」東家三可子・旭ちぐさ/「貝賀弥左衛門」鳳舞衣子・伊丹秀敏/中入り/「サカナ手本忠臣蔵~刃傷サンゴの廊下」玉川太福・玉川鈴/「桂昌院」神田真紅/「赤垣源蔵 徳利の別れ」花渡家ちとせ・玉川みね子/「中山安兵衛婿入り」天中軒雲月・伊丹秀敏
三可子さんの「勝田新左衛門妻子別れ」。勝田は討ち入り準備のために妻子を義父の大竹重兵衛に預け、荷売り八百屋に身をやつして吉良家の様子を窺うが…。討ち入り前日、正装した勝田が重兵衛の許を訪れ、ある藩に仕官が叶ったと虚偽を言って別れを告げに来るのを見て、重兵衛は「いよいよ討ち入りだな」と察するが、勝田は決して口を割らない。重兵衛に「離縁だ!」と罵られても、他言できない。ゆえに女房のおみつや息子の新之助にも会わせてもらえない。赤穂義士として本懐を遂げるということの重みを感じる。
舞衣子先生の「貝賀弥左衛門」。小田原の廻船問屋・江戸幸の若旦那、寅吉の粗忽。濡れ衣を着せられた品川の武蔵屋長兵衛の娘おすえは高輪で身投げを覚悟するが…。そのときに、3両渡してくれて命を助けてくれたお武家様は住所も名前も教えてくれなかった。長兵衛父娘は必死になって江戸中、恩人を探して歩くが、そこに出くわしたのが赤穂義士が討ち入りを果たして泉岳寺に向かう行列。そこに高輪で3両渡してくれたお武家様、貝賀弥左衛門がいた…。美談を美談で包んだような読み物だ。
雲月先生の「安兵衛婿入り」。堀部家へ婿に来てくれなければ…と言って、わが娘に短刀を付き付ける母親は「生かすも殺すも中山殿の胸ひとつ」。これにはさすがの安兵衛もウンと承知せざるをえない。婿入りした上で、酒浸りの日々を送れば、早くて10日、遅くて一カ月で相手も愛想尽かしをするだろうという目算だったが…。
七合入りの大杯を2杯、平気な顔して飲んで高イビキ。父の堀部弥兵衛金丸が娘に「お情けの言葉はあったか?」と訊くと、娘は顔を赤らめ、「お情けどころか、背中の番して風邪ひいた」。それでも、金丸は「良い婿じゃ」の一点張り。一カ月経っても「離縁」の話が出てこない。安兵衛の目算が狂った。
「飲み足りないか」と酒浸りをヒートアップすると、さすがの金丸も堪忍袋の緒が切れた。槍を持って安兵衛に立ち向かい、「たった一人の娘、嫌であろうが、婿になってくれ」と涙ながらに手をついて頼む。これには安兵衛も「そこまで自分のことを見込んでくれていたのか」と心が動き、中山を捨て、堀部の養子になることを快諾した。安兵衛は情に厚い人間的な男だなあと思う。
夜は高田馬場に移動して、「講談!ザ・忠臣蔵!!」に行きました。昼が浪曲の忠臣蔵特集だったが、夜は講談の忠臣蔵特集だった。
「田村邸切腹」田辺銀冶/「三村の薪割り」宝井梅湯/中入り/「南部坂雪の別れ」神田伊織/「大石内蔵助 十八ヶ条」宝井琴鶴
銀冶先生の「田村邸切腹」。浅野内匠頭は山鹿素行に師事し、清廉潔白を信条としていたという前提に合点がいった。だから、勅使饗応役の指導役である吉良に対し、伊達左京亮は賄賂を贈って上手く処したが、内匠頭はそのようなことは決してしないという意志が明白にあったのだ。これに対し、吉良は内匠頭だけに“大事な書付”を見せないというような嫌がらせをする。この不条理が許せずに、松の廊下で刃傷に及ぶというのは、なるほどである。
即日切腹の沙汰となった内匠頭の無念。田村右京太夫邸での切腹の際に、片岡源五右衛門に残した遺言、「残念じゃ」という言葉の何と重いことか。田村邸の庭の桜の木の花びらが散るのを見て詠んだ辞世の句は美しい。風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん。享年三十五。この無念を晴らすべく、家来たちは動いたことに納得がいく。
梅湯さんの「三村の薪割り」。赤穂浪士、三村次郎左衛門包常は刀研ぎの名人である竹屋光信に対し、二度にわたって身分と名前を偽ったことに驚く。それは悪いということではなく、そこまでして赤穂義士の討ち入り準備が入念かつ内密に行われていたということだろう。
“薪割り屋の次郎兵衛”の余りにも見事な薪割りに、光信は「只者ではない」と思って、氏素性を訊く。元はお武家様?と思ったのだが、次郎兵衛は「奥州二本松の百姓の倅」だと答える。だが、看板板に「御刀研上処竹屋光信」と書いた、その達筆ぶりにやはり只者ではないと思う。
暫く顔を見せなかった次郎兵衛が再び現れたとき、実は「二本松丹羽家の家来、小松次郎左衛門」だと明かす。そして、帰参が叶ったので、この名刀彦四郎貞宗を土産にしたいので、研いでくれと光信に頼む。さらに永正祐定を預け、庇を支える桑の腕木を真っ二つに伐って、「償い料」を渡していく、その腕の鮮やかさは只者ではない。この男が赤穂義士が仇討本懐を遂げたことで、その四十七士の一人、三村次郎左衛門包常だと判ったとき、その仇討を自分のことのように喜んだ光信が目に浮かんだ。
伊織さんの「南部坂雪の別れ」。浅野内匠頭の正室、瑤泉院を訪ねた大石内蔵助は、いくら尋ねられても「暇乞いに来た。仇討などない。山科に帰り、余生を過ごす」等と心にないことを言わなくてはならない。「深謀遠慮があってのことだろう?敵を欺く計略だろう?」と追及され、最後には「犬侍!下がりおれ!」と怒鳴られ、さぞ心を痛めたことだろう。
瑤泉院が部屋を出た後でも、戸田局にも重ねて詰問され、兄の小野寺十内は祇園で幇間になった、弟の幸右衛門は野伏芸人をやっている、等と虚偽を言わなければいけなかった。そして、渡した袱紗包み。「連歌の綴りが入っている」としたが、実はそれが吉良邸討ち入り同士血判、つまりは仇討連判状だったとは。
女中の紅梅が実は吉良のスパイで、寝室に忍んできた紅梅を見つけ、その正体を見破った戸田局が袱紗包みを開けると…という展開が実にドラマチックである。この事実を知った瑤泉院は、大石の慎重な行動と忠義心溢れる思いに触れたことだろう。戸田局が連判状の四十七士の名前を全員読み上げるところ、心が震えた。