一龍斎貞鏡真打昇進披露興行、そしてさん喬・喬太郎親子会
お江戸上野広小路亭の一龍斎貞鏡真打昇進披露興行に行きました。先週のお江戸日本橋亭に続いて2回目の披露目に行った。
「源為朝と鬼ヶ島」神田菫花/「白井義男伝 生い立ち」宝井琴鶴/「スプリングボクスとネルソン・マンデラ」宝井一凛/「般若の面」宝井琴桜/「出世浄瑠璃」宝井琴梅/中入り/口上/「加賀騒動 天の投網」一龍斎貞花/「安兵衛駆け付け」一龍斎貞鏡
口上。琴桜先生は女流講談師の先駆け的存在だけに感慨深い。18年前、国立演芸場での私の高座を貞鏡さんが初めて聴いて、「女の人でもできるのね」と思ったというのが彼女の入門の動機の一つと聞き、大変嬉しく思うと。大変にバイタリティーのある人なので、講談師として、妻として、4児の母として“頑張らずに”頑張ってほしいとエールを送っていた。
琴梅先生。彼女は大変に折り目正しい気性で、このメールが当たり前の世の中で、毛筆で手紙を送ってくれるのが凄いと褒めていた。拝啓春麗の候と丁寧な時候の挨拶にはじまり、末尾はお身体大切にお過ごし下さいと私を気遣ってくださる。自分のことだけでなく、相手のことを思いやる心の優しさがあり、それこそが真打だと讃えていた。
師匠の貞花先生。先週の披露目に続き、三回忌で真打昇進だから、十三回忌で九代目貞山襲名はいかがでしょうか?と客席に呼びかけ、多くの拍手が沸き起こった。5歳を頭に4人の子どもがいるので、十七回忌は無理かもしれないが、二十三回忌にはそのうちの一人は是非講釈師になってほしいという願望を述べていたのが印象的だった。
貞鏡先生の長所は、男っぽい勢いのある力強い発声と、女っぽい柔らかくて優しい発声の両方ができることだと思う。この日の中山安兵衛はまさに前者が生きた素敵な高座だった。叔父の菅野六郎右衛門から道場を任されたにも拘わらず、毎日酒浸りの日々で、酒を飲む金にも困る始末。そこで安兵衛は喧嘩の仲裁をして、鰻屋の二階で飲み食いして、そのまま消えてしまうという手口を思い付き、“ケンカ安”と仇名されるという…。安兵衛のなぜか憎めない人間的な魅力を巧みに描いている。
それが、六郎右衛門が高田馬場で村上兄弟と果し合いをする旨の手紙を受け取ると一転、漢気溢れる若武者となって現場に駆け付ける。きょうは駆け付けたところまでで、仇討の様子は明日の「安兵衛婿入り」で申し上げますとなったが、糊屋の婆さんとのやりとり含め、安兵衛の人柄をユーモラスに描いて見事であった。
夜は渋谷に移動して、「柳家さん喬・柳家喬太郎親子会」に行きました。さん喬師匠が「ちりとてちん」と「文七元結」、喬太郎師匠が「居残り佐平次」と「諜報員メアリー」、開口一番は林家さく平さんで「牛ほめ」だった。
喬太郎師匠の「居残り佐平次」。佐平次を悪党っぽく描くのではなく、悪い奴なんだけどどこか憎めない、愛嬌のある人物として“軽妙”に描いたのが印象的だった。それが最終盤に演出として歌われた植木等の「無責任一代男」に顕われていた。♬俺はこの世で一番 無責任といわれた男 ガキの頃から調子よく 楽してもうけるスタイル!
お勘定を!と求める若い衆をはぐらかす段。縁が切れる、終わっちゃうのが嫌だから、こうして留守番をしているんだよ。(お勘定を)綺麗にする?それは無かったことにするということ?お前さんが貰いたい、私が払いたい、その気持ちがピタリと合ったときに払いましょう。
それでも窮地に陥ると全く動じない図々しさ。もしも一銭もないと言ったら、どうする?そんなことない?それがあるから愉しい!(他の4人は)どこの誰だかなあ?一昨日新橋の軍鶏屋で出会った、極新しい友達。もうこうなったら、居残りと洒落やしょうか!行燈部屋にでも下がりやしょう!
居残りとして活躍しだす段。紅梅さんのところの勝っつぁん!噂は聞いています。憧れの的!羨ましいね、男の中の男!あなたのような人に惚れたら、苦界の勤めも苦にならないでしょうね。生まれ変わったら、私はあなたになりたい!紅梅さんが柱にもたれて、ボンヤリしていた。訊いたんです、「男嫌いのあなたが、なぜ勝っつぁんにはトンといっちゃうんです?」。すると、小声で「バカ!」と言ったんだ。わかります?
なかなか顔を出さないのは当たり前ですよ。一番最後に好きな男のところに行く。トリですよ。それとも、開口一番になりたい?でも、男に生まれて良かった。女だったら、どうしてもあなたに惚れちゃう。苦しい。つらい。挙句には喉を突いて死んじゃう。幇間のように持ち上げるだけ持ち上げて、酒を飲ませてもらうばかりか、小遣いまで貰っちゃう。すごいテクニックである。
最後に店の旦那に呼ばれて、「帰っていい」と言われる段。勘定はあるときに支払ってくれればいいと言われたときも、実は凶状持ちであると告白してすぐにでも出て行ってくれと言われたときも、「金が無いので、もう少しいさせてほしい」と佐平次が言うと、旦那が「金、持っているよね?この店で一番稼いでいるよね?」と突っ込むところが可笑しい。
高飛びの金、それに着物、帯、履物一式まで用意して貰い、佐平次が出て行った後、あの男は居残りを商売にしている有名人らしいと判ったときの旦那の反応が面白い。「痛快だね。見事だ。あの男のお陰でこの店は前より儲かった。売り上げが伸びている。正直言って、まだいて欲しいくらいなんだ。生まれ変わったら、弟子になりたいよ」。後味がとても良い“居残り”だった。
さん喬師匠の「文七元結」。佐野槌の女将が長兵衛に説教する段、そして長兵衛が文七の身投げを止めようとする段が素晴らしかった。
佐野槌の女将に「大層、忙しいんだって?駒札を動かすのに」と言われ、否定する長兵衛に「嘘、言うんじゃないよ!」と一喝する迫力が凄かった。そして、お久から聞いた話で店の者全員が「泣いちまった」と言う。
おっかさんをぶったり、蹴ったりするんです。本当のおっかさんでないだけに余計つらい。私をいくらでもいいから買ってください。そして、お父っつぁんに意見してください。畳におでこを摺り寄せて言うんだ。何で、そんなことを言わせるようなことをするんだい?落雁肌と言われた名人が、何で博奕なんかに夢中になるんだい?ウチの人が生きていたら、腕の一本、足の一本折られているところだよ。
佐野槌の女将が貸してくれた50両を、お久の手から長兵衛に渡す。そのときに「おっかさんに優しくしてあげてね」と言われ、涙を流す長兵衛はきっとこれで真人間として働こうと心に誓ったに違いない。
そして、吾妻橋。水戸様から受け取った50両をすられてしまったので、身投げをして許してもらうと言う文七に命の大切さを説く長兵衛の台詞が胸に響く。お前の給金から何十年かかってもいいから、返していけばいい。死んだところで、その50両は出てこないんだ。一生懸命に働いて返す、これで主人も許してくれるはずだ。死んじゃあいけない。死んで、何ひとつ良いことはない。死んで花実が咲くものか。あのとき死のうと思ったと、生きていれば後で笑える。生きていればいいことがある。
それでも強情に「死ぬ」と言い張る文七に、長兵衛は覚悟を決める。死ぬのか?…どこまでついていないんだ…50両ある。お前にやる。この金は俺の金で俺の金じゃない。恥を話すようだが、博奕で借金が出来て、その返済のために娘のお久が吉原の佐野槌に身を沈めて拵えた金なんだ。
一旦店に出たら、お久はどんな男とも一つ寝をしなきゃいけない。妙な病を引き受けるかもしれない。お前の店のどこでもいいから、金毘羅様でも、お不動様でもいい、祀って手を合わせてくれ。どうか、お久が悪い病になりませんように、とな。
そんな大切な金を文七は受け取れないと拒むが、長兵衛は言う。俺だってやりたかねえよ。でも、この50両がないと、お前は死ぬんだろう?お久は無くても生きていけるんだ。
命は金で買うことができない、一番大切なもの、簡単に無駄にしてしまってはいけない。生きること、つらくとも生きることの大切さを教えてくれる高座だった。