文楽「菅原伝授手習鑑」三段目~五段目
国立劇場九月文楽公演の第一部と第二部を観ました。途中に「寿式三番叟」を挟む形で、「菅原伝授手習鑑」の三段目から四段目、そして大詰めの五段目までの通し狂言である。今年10月をもって閉場する“初代国立劇場”の掉尾を飾るに相応しい公演だった。
五月公演で初段と二段目を観劇しているが、その内容は随分と忘れてしまっていても、十分に楽しめるものになっているのが、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」と並んで「三大名作」と謳われる所以でもあるのだろう。
三段目は「車曳の段」「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の段」「桜丸切腹の段」と並んだが、やはり最後の「桜丸切腹」が白眉だろう。
菅丞相の養女・苅屋姫と斎世親王の仲を取り持ち、政変の原因となった責任は桜丸にある。そのために菅丞相は藤原時平に“政権乗っ取り”ともとれるあらぬ疑いを掛けられ失脚、大宰府に流罪となった。
桜丸は切腹の覚悟をした。父の白太夫も致し方ないと諦め、腹切り刀を乗せた三方を用意する。女房の八重は思いもかけぬ事態に、ただ号泣するばかりだ。白太夫が鉦を打ち鳴らし、念仏を唱える中、桜丸は命を絶つ。
後を追おうとする八重を、密かに様子を伺っていた梅王丸夫婦が引き留める。松王丸を含めた三つ子の兄弟はそれぞれに立場が違い、そして異なる運命を辿っていくことがとても哀しい。それは父親である白太夫が一番感じていることなのだろうと思った。
四段目は「天拝山の段」「北嵯峨の段」「寺入りの段」「寺子屋の段」と並んだ。寺子屋、寺入りは何度も上演されているので、あえてここに感想を書くまでもないだろう。松王丸、女房の千代、息子の小太郎、それに武部源蔵と女房戸波、菅秀才によって繰り広げられる壮絶な人間ドラマの凄さはこの「菅原伝授手習鑑」の中でも図抜けて魅力的だ。
今回、「天拝山の段」を初めて観て、興味深かった。筑紫の国に流罪となった菅丞相と、その身の回りの世話をしている白太夫。前半、牛に乗った菅丞相と白太夫の長閑なやりとりがとても良い。菅丞相が愛していた梅の木が、筑紫の国の安楽寺に移り咲いていたという奇跡。「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んで夢の中で望んでいたことが現実に起こった。
そして藤原時平の家来である鷲塚平馬が襲って来たのを、警固していた梅王丸が捕らえる。この梅王丸の働きを褒め、「梅は飛び桜は散るゝ世の中に何とて松のつれらかるらん」と菅丞相が詠んだまでは微笑ましかったが。
平馬の自白で皇位を狙う時平の企てを知った菅丞相は形相を一変させ、梅の枝で平馬の首を討ち、帝を守るために雷神と化して都へと天拝山の山頂から向かうシーンはとても神々しかった。
五段目は「大内天変の段」。この物語の終焉に相応しく、菅丞相が神格化していく様子が、この段に象徴されていた。藤原時平が菅秀才を捕らえ、苅屋姫や斎世親王も捕らえようとするところへ…。急に天気が変化し、暴風雨、雷が鳴り響き、時平の家臣たちに落ちていく。そして、死んだはずの桜丸と八重の亡霊が「恨めしや~」と現れ、時平を追い込んでいく。桜の枝で打ちまくると時平は魂が抜けたようになる。
恨みが晴れて桜が散るように消えていく二人。嘘のように晴天となり、光が差し込む。そして、菅秀才と苅屋姫は「父の仇」と時平を刺す。これによって、菅秀才は菅家の家督を継ぎ、菅丞相は天満宮に祀られ、皇居の守護神として崇められるようになったという…。
壮絶な菅丞相とそれを取り巻く三つ子の物語はここに完結したわけだ。通し狂言の醍醐味を味わった。