残暑お笑い申し上げます 橘家文蔵「芝浜」
鈴本演芸場八月下席八日目夜の部に行きました。今席は橘家文蔵師匠が主任で、「残暑お笑い申し上げます~リベンジの9日間~」と題したネタ出し興行だ。9日間のラインナップは①青菜②鼠穴③寝床④飴売り卯助⑤休演⑥文七元結⑦化け物使い⑧芝浜⑨猫の災難⑩子は鎹。きょうは「芝浜」をきっちりと聴かせてくれた。
「初天神」三遊亭歌きち/「熊の皮」橘家文太/曲独楽 三増紋之助/「猫と金魚」柳家小せん/「引越しの夢」春風亭百栄/紙切り 林家正楽/「道灌」蜃気楼龍玉/「牛丼晴れ舞台」三遊亭白鳥/中入り/粋曲 柳家小菊/「村越茂助」田辺いちか/「授業中」三遊亭歌奴/ものまね 江戸家猫八/「芝浜」橘家文蔵
文蔵師匠の「芝浜」のテーマは改心だ。なんで魚屋になんかなったんだろう。楽をして儲かる商売があるはずだ。商いになんか行きたくない。芝の浜で財布を拾うまでの魚勝はそんなことばかりを考えて酒を飲んでゴロゴロしている、いわば怠け者だった。
だから革財布に42両が入っているのが判ったとき、これで遊んで暮らせると思った。女房にも綺麗な着物を着せてやることができるし、一緒に伊勢参りもできる。贅沢ができると思った。
ここで偉いのは女房である。このままだと亭主は駄目になってしまう。拾った42両をお上に届けずに使ってしまうということ自体犯罪というのもあるだろうが、たとえそのことが露見しなくても、今の亭主の了見だったら、すぐに42両は使い切り、働くことに一生懸命になれない駄目な男のままになってしまう。そんな不安が襲ったのではないかと思う。
芝の浜で42両を拾ったことを、亭主に“夢だった”と思い込ませる女房の必死さがグングンと伝わってきた。仕事もしないでゴロゴロしているから、そんな馬鹿な夢を見るんだ!湯に行って、町内の仲間を連れて来てドンチャン騒ぎをして、この払いは一体どうするの!情けない!女房の必死の芝居が亭主を救ったと言っても過言ではないだろう。
自分のだらしなさ、情けなさに失望した魚勝は「死のう」と女房に言う。だが、女房は「死にたくない。死ぬくらいなら、稼いでおくれ。お前さんならできる」と背中を押す。
それによって、魚勝の口から出た言葉「酒、やめるわ」。酒が自分を駄目にしていることに改めて気づき、“改心”をした。朝早く起きて、商いに精を出す。すると、見放していたお得意客が再び魚勝の腕を買ってくれた。評判が評判を呼ぶ。物事というのは、一つ歯車が良い方向に回り出すと、その波及効果で色々なことが良い方向へ動き出すものなのだ。
3年が経つと、裏長屋の棒手振りが表通りに一軒の店を出すまでになった。そのときの魚勝の言葉、「俺は根っからの魚屋なんだな。銭金のために働いているんじゃない。働くって楽しいな」。もう、こうなればしめたものである。
女房もこの言葉によって亭主は完全に更生したと確信できた。そして、あの革財布と42両を魚勝に見せることができた。「これを拾ってきたのは夢じゃないの。今まで騙していてごめんなさい」。魚勝は一瞬カッとなり、女房の胸ぐらをつかむが、その後の女房の台詞で考えは改まる。
この革財布と42両は落とし主が現われず、とっくに払い下げになっていたが、また元の亭主に戻ってしまうのではないか、怖くて言い出せなかった。だが、さっき「働くって楽しい」という言葉を聞いて、もう大丈夫だと思った。お願い、別れないで。私、勝っつぁんのことが好きだから。許してください。
これに対する魚勝の「お前が正しいよ。悪いのは俺だ」。そして、「3年の間、辛かったろう。ありがとう」。女房に対して感謝の辞を述べる魚勝の姿に僕は胸が熱くなった。お互いを思い合う夫婦愛の素晴らしさに乾杯だ。