田辺いちかの会

田辺いちかの会に行きました。「平松金次郎 臆病一番槍」「牡丹燈籠 お札貼り」「赤穂義士外伝 忠僕元助」の三席。

「臆病一番槍」。人間は死を覚悟すると、こうも変われるものなのか。これがテーマだ。金次の臆病は酷かった。武芸に長けていながら、いざ戦場に立つと身震いして役に立たなくなってしまう。

天龍川の渡し舟の一件もそうだ。伴をしていた老僕の文助がよろけて、草鞋の先が森源蔵という侍の刀に当たってしまう。源蔵はすぐさま文助を無礼討ちにして、斬り殺し、川に投げ込んだ。ここで主人である金次が源蔵に仇討ちを挑むかと思いきや、その場にへたり込み、何もできず、源蔵に笑い者にされてしまうという失態。何とも情けない。

この噂が浜松の城下に知れ渡り、金次の御成敗をという声が家康に届いた。家来の恥は主君の恥にもつながる。家康は金次を呼び出し、首を斬ると言った。金次も死ぬ覚悟をした。だが、家康は峰打ちに止めた。そして、このときの“死ぬ覚悟”を覚えておけと金次に言い渡した。

その後、小牧山の戦において金次は豹変した。家康が金次に「討ち死にして来い」といった一言が後押しとなり、獅子奮迅の活躍。「臆病未練卑怯者と呼ばわれたる平松金次なりぃ」という名乗りが何とも面白い。肚が座ったというのであろうか。よく「決死の覚悟で」などという表現を使うが、人間「あとは死ぬだけ」と肚を括ると怖いモノなし、何でも出来る。何か勇気を貰える一席である。

「お札貼り」。神田茜先生作品だ。お露は新三郎のことを心底愛している。幽霊の身である自分が好きになると、大好きな新三郎を殺してしまうことになる。会いたい気持ちを封じ込めるために、お露は伴蔵の手を借りて自主的にお札を貼ることにする。何と健気なことよ。

だが、新三郎もお露のことが好きで堪らない。会えなくなるなんて辛い。相思相愛。ならばと、新三郎自らがお札を剥がしてしまう。これによって、お露と新三郎、それにお米の三人は仲良く天国に逝ったという…。茜先生とは違ういちかさん独自のカラーに染めた改作?講談を楽しめた。

「忠僕元助」。主従は三世というが、そこに流れる男の美学に惚れた。いよいよ明日は討ち入りという前夜、片岡源五右衛門は元助に暇を出す。他言は無用だから、偽りの理由を言って別れを告げるのだが、元助は納得がいかない。佐賀鍋島藩に仕官、後家に入り婿、莫大な借金…元助には通用しない。挙句には、「お前が嫌いになった」と心にないことまで言う始末。

だが、赤穂浪士の来訪によって、元助は察する。すごい。よく出来た下僕だ。何も言わずに別れの盃を交わし、赤穂にいる奥様やお子様のことは任せてくださいと請け負う。これで源五右衛門は安心だ。

見事討ち入り本懐を果たした後、泉岳寺に向かう義士たちのために、籠いっぱいの蜜柑を用意して、喉を潤してもらおうという元助の心遣いもまた泣かせるではないか。そして、元助は出家し、20年かけて四十七士の石像を彫ったという。まさに“忠僕”、素敵な読み物をありがとうございます。