尾上眞秀初舞台「音菊眞秀若武者」、そしてかけ橋・松麻呂定例研鑚会
歌舞伎座で「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部を観ました。「寿曽我対面」「若き日の信長」「音菊眞秀若武者」の3演目。
「音菊眞秀若武者」は初代尾上眞秀初舞台だ。母が女優の寺島しのぶ、父がクリエイティブディレクターのローラン・グナシア、つまり祖父が尾上菊五郎、叔父が尾上菊之助という血筋の10歳だ。
祝幕はシャネルのサポートで実現したという、とても洗練されたデザインのものだった。現代アーティストのグザヴィエ ヴェイヤンが、アーティスティック・ディレクターであるアスカヤマシタの協力を得て構想したものだそうだ。なんだかよく分からないけど、インターナショナルに凄そうである。
で、肝心のお芝居の方は、祝祭ムード満点の内容で、また10歳の眞秀さんが実に達者で拍手喝采だった。岩見重太郎狒々退治の物語を下敷きにしたもので、面白かった。
前半は大伴家茂(團十郎)や藤波御前(菊之助)、局の高岡(時蔵)、腰元梅野(梅枝)らが顔を揃えて祝いの宴を催している。そこへ剣術指南役の渋谿監物(彦三郎)が現われ、同道した女童(眞秀)を藤波御前の許へ出仕させたいと願い出る。愛らしい女童を一目で気に入った藤波御前は女童に舞を舞うように勧め、女童が恥じらうと家茂や藤波御前が共に舞ってあげて、宴が盛り上がる。眞秀の女方としての初々しい美しさが印象的だ。
後半は村人が大猿のような化け物のために難儀しているという訴えに対し、女童がその正体を明かしてみせようと進言する。実は女童は岩見重太郎という男子であった。大狒々を従えた長坂趙範(松緑)に対し、果敢に立ち向かう重太郎。そこに忽然と弓矢八幡(菊五郎)が現われ、その威徳によって大狒々を退治することができた。そして、趙範こそが重太郎の亡き父の仇であることが判り、大願成就を果たすため、重太郎は武者修行の旅に出る。勇ましい立ち廻りを見せる眞秀の凛々しい姿に万雷の拍手が鳴りやまなかった。
丑之助とともに将来の音羽屋を担う役者として、すくすくと成長していってほしいと願う。
夜は神保町に移動して、「春風亭かけ橋・神田松麻呂定例研鑚会」に行きました。かけ橋さんは「味噌蔵」と「あくび指南」、松麻呂さんは「寛永宮本武蔵伝 山本源藤次」と「慶安太平記 秦式部」。
松麻呂さんの「山本源藤次」は前座時代から口慣れた読み物で安心して楽しめる。武蔵が「源藤次の義兄弟」と偽って面会を求める度胸、さらに尾張大納言にも目通りが叶って、源藤次との試合が行われ、一進一退の攻防となるところ、武蔵の器の大きさがよく表現されていて心地よい。
「秦式部」も、由井正雪の人心掌握術によって、次々と味方を増やして、クーデター計画を着々と進める様が聴いていて面白い。浅草奥山で見かけた皿廻しの男が只者ではないと見抜く眼力。その男=秦式部の才覚を利用し、稀に見る干ばつに困っている人々に対し、雨乞いという儀式を仕掛けて見事に成功させて大衆の支持を集める正雪の緻密かつ大胆なパフォーマンス力に惹かれる。
かけ橋さんの「味噌蔵」、倹約を旨としている旦那が出掛けた隙を狙って、番頭さんと奉公人たちがドガチャカドガチャカで贅沢三昧をするというのがこの噺の肝だろう。
田楽を売っている店が豆腐屋でなく“カラ屋”だと思っていた、味噌汁にタニシが二個、具に入っていると思ったら自分の目玉だった等の教科書通りのエピソードはわかった。だが、いかに普段は奉公人たちが虐げられていて、そこから開放されるチャンスが到来したときにどれだけ興奮しているかを独自のギャグで目いっぱい表現すると、もっと面白くなると思った。
「あくび指南」、“女目当て”に習いに行った八五郎が、出てきた女性は師匠の家内だったと知り、ガッカリという路線は面白い。
だけど、ガッカリから立ち直れず、師匠が夏のあくびの手本を見せても、「こんなのに金を払うの?」とネガティブのままだと、その後の不器用ぶりが引き立たない。師匠が男だと判ったら、そこはスパンと切り替えて、あくびの手本というものに前のめりになって、その上で上手く出来ない八五郎という構図になると面白いのになあ。そこがちょっと残念だった。