講談協会定席、そして集まれ!信楽村

上野広小路亭の講談協会定席に行きました。田辺いちかさんが休演し、田辺凌天さんが代演した。

「海賊退治」一龍斎貞介/「中條五郎兵衛生い立ち」田辺一記/「生か死か」田辺凌天/「安兵衛婿入り」神田春陽/「木村長門守 堪忍袋」田辺一邑/中入り/「大久保長安」神田織音/「髪結新三 鰹の強請」一龍斎貞花

一邑先生、仇を恩で返す素晴らしさ。木村長門守の人間性に惹かれた。好人物で評判が高いと、それをやっかむ者がとかく出てくるもの。お茶坊主の良寛はその最たるものだろう。長門守に再三仕掛けるも、相手は大人の対応で冷静沈着。良寛のような存在は蠅だと思えばいいのだ、に納得。最終的に良寛が長門守の素晴らしさに感嘆し、家来になるという…。人間、かくありたい。

織音先生、家康の懐刀、徳川幕府の経済面から礎を築いた人物の評伝。人があってこそ、国がある。鉱山開発や街道整備などに尽力し、日本各地の地場産業の興隆を図る。豊かな財源が豊かな国を作るという長安のポリシーは間違っていなかった。金と女のスキャンダルが絶えない人だったらしいが、それを補っても余りある功績はもっと評価されていい。

貞花先生、白子屋政談。俺は入れ墨の新三だ!と見せる貫禄に、弥太五郎源七親分もタジタジだったが…。大家はそんなことでは震え上がらない。“拐(かどわかし)”は立派な犯罪、お上に訴えれば遠島は逃れられないぞ、という大家の言い分に流石の新三も怖気付く。その上、「鰹は半身貰うぞ」と言って、30両のうち半分の15両まで巻き上げる。大家は町役、権威があったということもあろうが、この大家は堅気なのに堂々とヤクザ者と渡り合うのが凄い。

夜は高田馬場に移動して、「集まれ!信楽村~柳亭信楽勉強会」に行きました。「引越しの夢」「ご当地ドラマ」「火焔太鼓」の三席。

「引越しの夢」の冒頭で、当時の口入れ屋の様子を活写していたのが良かった。雇用される側が出す条件、雇用する側が出す条件、双方のバランスを取ってマッチングをしていたことが判る。

新しく雇用された美人の女中さんに、番頭さんが「私がこの店を仕切っている」という風を吹かせて、羽織でも帯でも欲しいものがあれば、勘定をドガチャカにしてあげる、その代わり酔って帰った晩などに間違ってお前さんの部屋に入るかもしれないが、そんなときは騒がないで布団の中に入れておくれ…。

最後に「番頭さん!誰に向かって喋っているんですか?繁蔵?気取って眼鏡を外すから…」と部下である奉公人に笑われるオチがつくが、当時は暗黙の了解で“夜這い文化”があったことが判る。落語は勉強になるなあ。

「ご当地ドラマ」、信楽さんのセンスが光る新作。サスペンスドラマで、犯人が人質を取って断崖絶壁から飛び込むという緊迫した場面。監督からご当地ネタを「うまい具合に」織り込んで演じてくれと言われた俳優陣のナンセンスなアドリブが愉しい。犯人の名前が「聖徳太子」になったり、人質が「鹿」だったり、飛び込む場所が「温泉」になったり、皆の台詞が「こだま」したり…。お客さん大絶賛の爆笑高座で、カーテンコールか!というくらい拍手が止まらなかった。

「火焔太鼓」は、信楽さんは落語の勘所を掴むのが上手いなあと感心した。この噺は昔は志ん生、そして志ん朝の十八番で誰も他に演る人がいなかった、というかできなかった噺だが、今は色々な噺家さんに流布して演じられている。それ故、クスグリなどが派生して色々な系統があるが、信楽さんは志ん生の型にかなり忠実で、その上で笑わせているのが凄い。

小僧が太鼓を叩いていると、殿様の家来が訪ねてくるところ、甚兵衛さんは「この子は親戚から預かっている子で、バカなんです。この顔はバカガオと言って、夏に咲くんです」と言った後、「この目はバカメと言って、おつけの実にしかならないんです」と畳みかける。

また、お屋敷に行って、太鼓が300両で売れた後、50両ずつ包みを出されてビックリするところ、ものすごいリアクションでビックリする。この噺の笑い所だと判断したところは、繰り返したり、思い切り強調したりすることで、その笑いを増幅させるセンスを信楽さんは持っているのだなあと思った。同じ台本でも、勘所の掴み方ひとつで、面白く出来る噺家と出来ない噺家がいるのだなあということを痛感した。