柳家喬太郎みたか勉強会
「柳家喬太郎みたか勉強会」昼の部と夜の部に行きました。喬太郎師匠は原則、都内では独演会をやらない。だから、三鷹市芸術文化センター星のホールで年2回開いている、この勉強会は喬太郎ファンにとっては貴重な存在である。また、喬太郎師匠ご自身にとっても、「勉強ができる」=チャレンジが出来るということで、とても大切にされている会だ。
昼の部は「野ざらし」と「当世女甚五郎」。
「野ざらし」は本来のサゲ、「新朝という幇間(たいこ)です」「あっ、釣ったのは馬の骨だったのか」までしっかりと演じた。ただ、①太鼓は馬の皮を張って作ること、②浅草新町に太鼓の店が多くあったことの2点をマクラで仕込まないとサゲがわからなくなってきている。当然、喬太郎師匠も仕込むつもりだったが、噺に入ってから気が付いて、②については尾形清十郎が太鼓を趣味としていて、浅草新町によく行くという情報を途中で挿入したが、①については失念していた。そのことを、中入り後の二席目のマクラで告白していた。それもご愛嬌だ。
鐘がボンと鳴りゃあサ、上げ潮南サ、烏がパッと出りゃ、コラサノサ、骨(こつ)がある、サーイサイ~。サイサイ節を気持ち良く歌うところは、聴いているこちらもとても気持ち良くなる。あと、手向けした骨の女が八五郎のところを訪れてイチャイチャする妄想、いわゆる一人気違いが喬太郎師匠の場合、ことのほかリアルで愉しいのがいい。
「当世女甚五郎」は去年、SWAクリエイティブツアーでネタ卸しした作品だが、何度も掛けるうちに口慣れてきて、とても面白い作品に昇華している。中学時代に同級生だった男女が取材するライターと取材される木工アーティストとして久しぶりに再会するが、そういうシチュエーションに僕は弱い。自分の中学生時代と重ね合わせてしまって、他人事とは思えない。
その上、女性の方が男性に当時、思いを寄せていて、それを木のサイコロを渡すことで表現していたのだなんて聞くと、胸がキュンとなる。「サイコロは英語でダイス。それが木で出来ているから、ダイス・キ!大好き!」だなんて。赤面してしまうよう。
夜の部は「按摩の炬燵」と「ウルトラの郷」。
「按摩の炬燵」は、番頭と按摩の米市さんの心の交流が素晴らしい。幼なじみで、米市さんが子供の頃、「めくら!めくら!」と心無い苛めに遇ったときも、庇ってくれたのは番頭さんだった。だからこそ、「今晩は炬燵になっておくれ」と頼める間柄になるのだね。
米市さんの酒の飲みっぷりがいい。クイクイと飲む。その勢いに比例するかのように、饒舌。番頭さんが十四歳までおねしょしていたことや、つまみの佃煮を食べながら、「ご婦人には海老のあの髭が堪らないなんていう人がいる」とか、ほぼ独演会状態。それを大人しく聞いている小僧たちの姿も思い浮かぶ。炬燵になりながら、小僧たちの寝言を聞き、「こうやって偉くなるんだなあ」の言葉が沁みる。
「ウルトラの郷」は本当に久々だ。喬太郎師匠は「まだ3、4回くらいしか演ったことがないのでは」とおっしゃっていたが、これこそ勉強会の醍醐味だ。調べてみたら、2016年、鈴本演芸場7月下席特別興行「ウルトラ喬タロウ」初日に掛けたのを聴いている。多分、これがネタ卸しだったと思う。
還暦を迎えた同級生が集まるクラス会、多分小学校の同級生だと思う。話題は皆に付いた仇名で、ウルトラマンに出てくる怪獣ばかりだ。何か他愛ないエピソードか、その子の容姿にちなんで付いたもので、一人一人の仇名を言うのを嬉しそうに、楽しそうに演じている喬太郎師匠を見ていると、とても幸せな気分になる。
小学校時代は本当に無邪気に遊んでいたよなあ、と聴き手である僕も共感する。その最たるものが、友達に仇名を付ける行為だった。今、思い出すと子どもらしい瑞々しい感性から生まれた仇名だったよなあ。還暦オッサンのノスタルジーとでもいうのであろうか。それをウルトラに特化したところに喬太郎師匠のセンスを感じる一席である。