日本浪曲協会二月定席五日目、そして田辺いちかの会

木馬亭で日本浪曲協会二月定席五日目を観ました。きょうは「どうする戦国 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 三英傑」と銘打っての企画公演。文字通り、NHK大河ドラマ「どうする家康」がスタートしたことにあやかった企画だ。太閤記ほか木下藤吉郎秀吉と主君信長の物語や、徳川家ゆかりの読み物が並んだ。

「秀吉の母」東家千春・伊丹秀敏/「織田家仕官」天中軒すみれ・沢村豊子/「水戸黄門 散財競争」真山隼人・沢村さくら/「太閤記 矢作橋」東家一太郎・東家美/中入り/「宇都宮釣天井」木村勝千代・沢村まみ/「長短槍試合」宝井梅湯/「隅田川乗っ切り」花渡家ちとせ・沢村豊子/「木村の梅」東家三楽・伊丹秀敏

千春さん、息子藤吉郎の出世を喜び、うかれる母・おなかを楽しく演じていた。すみれさんは藤吉郎の自信と度胸をしっかりと描き、これなら信長に気に入られるだろうなと思う。一太郎さん、藤吉郎の人相を見て、「これは関白太政大臣になる人だ」と予言する易者の凄さを出していた。

隼人さんの「水戸黄門漫遊記」、コミカルで愉しい。黄門様をバカにしたお大尽をギャフンと言わせてやろうと、材木問屋の大旦那になりすまし、遊びの派手さを競い合うというのが何とも面白い。黄門様が意地になって、北町奉行に手紙を出して、南の廓を十日間足止めにするところ、まるで漫画だ。で、本物の材木問屋の若旦那が現われて、ビックリ!というのも可笑しい。

勝千代さんの「宇都宮釣天井」は、名主の娘・お稲と出入りの大工の与四郎の恋模様と将軍家への謀反が絡まって興味深い。日光東照宮に参詣する家光を、釣天井に仕掛けして暗殺しようという計画を巡って、利発なお稲が与四郎に助言したが…。密告したことがばれて与四郎は討ち首、それを悲しんで後を追うようにお稲も自害する。悲恋だ。

三楽先生の「木村の梅」は大久保彦左衛門の聡明と貫禄がよく出ていた。木村長門守の逸話から“木村の梅”と名付けられ、家康から譲り受けた大事な梅の木だが、「一輪散らした者は切腹」というのは明らかにやり過ぎ。それをたしなめる彦左衛門の「人の命は金では買えない。梅はどこまでも梅」と身体を張って家光に意見する姿が素晴らしい。

夜は人形町に移動して、田辺いちかの会に行きました。勉強会も兼ねたこの会は去年まではらくごカフェで開催されていたが、今回から日本橋社会教育会館へスケールアップ。「毎回、ネタ卸しを自分に課す」大切な会にしたいとおっしゃっていた。

「安政三組盃 間抜けの泥棒」は、口慣れた得意ネタだ。泥棒三人組を知恵と若干の色気で退散させてしまう、お染さんの度胸に舌を巻く。思う男がいて、縁談を断るために、男嫌いと称して、柳島の別荘に母親と祖母と三人暮らしをしていることに大変興味があるが、それは連続物として「安政三組盃」を聴けばわかるはずだが、これと「羽子板娘」の2話しか巡り会っていない。いちかさんは全12話を持っているはずだから、いつかどこかで、聴きたいものだ。

「村越茂助」も何度も聴いている読み物だが、毎回新鮮に楽しめる。自分の名前すら忘れてしまう粗忽者で、元々は村越三十郎だったが、名前を茂助と改めたエピソードからして愛嬌がある。家康はこの茂助を可愛がっていて、無筆だったが、密かに読み書きを教えてやるのもいい。七の字のエピソードも可愛さ満点だ。

で、秀吉のところへ使者として行ったときも、口上を聞かずに来たというのは、落語の「粗忽の使者」か!とツッコみたくなる。でも機転を利かして、秀吉の前で裸になり、傷だらけの身体を見せて、この傷は姉川の合戦、これは三方ヶ原、これは小牧長久手、と説明して、「そんな私が一千石取りだ」と、日吉権現の寄進に一万石というのは秀吉の要求が法外だと暗に伝えるのはあっぱれ。

トリネタは「鼓くらべ」。山本周五郎の作品をいちかさんが講談にして、今回ネタ卸ししたものだが、素晴らしかった。“友割りの鼓”は、市之亟と六郎兵衛という囃子方のライバルが競ったら、六郎兵衛の鼓の皮が市之亟の気合いで割れたという逸話だ。

だが、市之亟はこれに心を痛め、自分の左腕を折って、姿を消してしまったという。これを例に挙げて、金沢城で行われる鼓くらべに出てライバルのお宇多に対抗しようとしているお留伊にメッセージを残す老絵師の言葉が印象的だ。芸術は人の心を楽しませ、清らかにするものであり、誰かを負かそうとしたり、人を押しのけて自分の欲を満足させたりする道具ではない。

この言葉を思い出したお留伊は、鼓くらべの途中で演奏を止め、お宇多に勝ちを譲った。そして、老絵師のいる宿を訪ねると、もはや彼は帰らぬ人となっていた。左の腕を着物に隠してお留伊を諭した老絵師こそ、姿をくらませた市之亟その人に違いない。

何とも言えぬ感動を覚えた、いちかさんのネタ卸し「鼓くらべ」であった。