天中軒すみれ年明け披露

天中軒すみれ年明け披露に行きました。浪曲師は前座修行を終えて一人前になることを、年季明け、年明け、または名披露目という。噺家の世界の二ツ目に昇進するようなものだと説明される。真打という階級はないから、その後は自分の努力で名前を売っていくということなのだと思う。

すみれさんは2018年4月に天中軒雲月先生に入門した。およそ5年の前座修行を終えての年明けである。東京藝術大学音楽学部在籍中から雲月先生のファンとして追っかけをしていたのだそうだ。このことは雲月先生が口上で喋っていたのだが、「だから、顔は知っていました」。そして、大学院生のときに正式に入門を志願された。「ご飯を食べるのは簡単じゃないのよ」と言ったが、彼女の意志は堅く、大学院卒業とともに入門を許したそうだ。

「暗い顔してもじもじしながら『弟子になりたい』って言うの。笑えば可愛いのに。ほら、笑ってごらんなさい」と雲月先生の隣りで頭を下げているすみれさんに言うと、彼女はニッコリと笑顔になった。今年で芸歴55年になる雲月先生の実に嬉しそうな素敵な口上だった。

「六代御前」天中軒景友・広沢美舟/「東男に京女」天中軒月子・馬越ノリ子/口上/「太閤記 秀吉の報恩旅行」松浦四郎若・広沢美舟/「若き日の小村寿太郎」天中軒雲月・沢村豊子/「関孫六伝 恒助丸の由来」天中軒すみれ・沢村豊子

雲月先生は名古屋に住んでいて、東京の日本浪曲協会の理事であると同時に、上方の浪曲親友協会にも所属し、こちらでも理事を務めている。だから、弟子のすみれさんも同様に両協会に所属している。ということもあって、きょうの披露目には親友協会副会長の松浦四郎若先生をゲストとして招いた。

なかなか上方の浪曲に触れることが少ない僕にとっては、京山幸乃さんとすみれさんが定期的に開いている「ゆきのすみれ」という二人会の特別版で去年12月に幸乃さんの師匠である京山幸枝若先生が出演したとき以来で、とても新鮮だった。

「秀吉の報恩旅行」は、関白になった秀吉が日吉丸だった頃に世話になったお産婆さんや、藤吉郎の頃に結婚して、その後に別れてしまった元妻のお菊と再会し、彼女たちに対して、身分の分け隔てなく御礼を述べ、殊勝な姿に感銘を受けた。そして、四郎若先生の迫力ある節と啖呵に圧倒された。

雲月先生は「初心に返る」と言って、「若き日の小村寿太郎」を唸った。確か、すみれさんも最初に習った演題がこの小村寿太郎だったと記憶している。政府に反発を食らう意見をして下野を余儀なくされた小村の貧乏暮らしに対し、惜しみない支援をした仕出し屋との身分を超えた男の友情に胸が熱くなる。

最後にトリとして高座に上がったすみれさんは、赤い振袖姿で登場した。雲月先生の師匠、四代目天中軒雲月先生の娘さんから譲り受けたものだそうだ。何と、天中軒の紋が入っている。その格式ある振袖を着て、演台前に出て、嬉しそうに愛嬌を振りまくすみれさんがとても印象深かった。

読んだ演目「関孫六伝 恒助丸の由来」は、主人公の孫六の弟子、恒吉(実は山本勘助の家来の恒次郎)の修行も5年だったので、「自分と重ねることができる」とすみれさんは前振りで語った。師匠の孫六が恒吉の恒と勘助の助を取って、出来上がった名刀に恒助丸と名付けた。何か、師弟関係の素晴らしさみたいなものがこの一席から感じられて、雲月先生とすみれさんの師弟に重ね合わせることができるなあと思った。