「ドライブイン カリフォルニア」人間がどうやって絶望とつきあっていくか。26年後の再々演でも変わらないメッセージ。

本多劇場で「ドライブイン カリフォルニア」を観ました。(2022・06・15)

1996年初演、2004年再演、そして今回が再々演となる。松尾スズキの作・演出の作品だ。

プログラムから(STORY)

竹が名産の田舎町・竹芳養町で「カリフォルニア」という名のドライブインを経営するアキオは、妹のマリエ、腹違いの弟ケイスケとともに暮らしていた。ヤマグチという男と駆け落ちした妻クリコを追って、芸能マネージャー若松が「カリフォルニア」を訪れた、ある日のこと。マリエはスカウトされ、東京でアイドルとしてデビューすることに。やがてマリエは結婚し息子をもうけるが、いい感じの時期は長くは続かなかった。

それから14年後――。

事業に失敗した夫の自殺を機に、マリエが故郷に帰ってきた。人の言葉だけが聞こえないという障害を持つ中学生の息子・ユキヲを連れて…。

アキオ、ケイスケ、アルバイトのエミコ、元高校教師の大辻、アキオの恋人マリアを巻き込み、14年間たいした変化のなかった場所に活気が戻ってきたように見えた。そんな中、ユキヲは死んだと聞かされていた祖父ショウゾウと出会う。

ドライブイン「カリフォルニア」を舞台に、複雑に時が流れだす…。

この芝居のテーマは「人間が絶望とどうやってつきあっていくか」ということだ、と松尾スズキさんはインタビューで答えているが、今まさに「絶望」と付き合わなくてはいけない僕にとっては、心に刺さるメッセージだった。心に刺さっただけで、そこからその刺さったものを抜き取ることができない自分がここにいるんだけど。

芝居というのは、起承転結がはっきりしていて、「はい、これが答えです。おしまい」というものはほとんどない。心に刺さるという意味では、今回の芝居は抜き取る暇もなく、どんどん刺さっていって、もうどうしようもないよお、という感じで終わっている。でも、この芝居を観て、「うん。この絶望との付き合いはわかる」と思っただけでも良かった。途中に沢山の笑いを散りばめてあるから。救われる。

松尾スズキさんも、初演から26年も経った3度目の上演でも、常に「絶望」と向き合いながら演出していたのだと思う。

プログラムの松尾スズキさんの(ごあいさつ)から抜粋

今日はもろもろの意味を含めてこんな世におきまして、拙作を観に来ていただき、まことにありがとうございます。

還暦も近くなれば、自分の歳など数えなおさないので、人に聞くならば三三歳のときに書いた戯曲なんだそうで、これも含めて、同じ年に三本新作を書いていたということでした。

三本書けるというのは、いまや、二年に一本書ければ御の字みたいなていたらくのわたしからしたら、もう、眩しい、としか言いようのない年頃だったわけです。(中略)

この二〇数年の間に、松尾が何を失い、何を手にしたのか、みなさんにうっすら感じてもらえたらいいなと思いますし、そんなことも考えずにただただ俳優たちの演技に見惚れて帰る、なんてことでもいいなと思います。結局、よい暇が潰せていただけたら、ええ、もう。それで。

我々にとって何が大事か?

旗揚げ時から、ずっと考えてきましたが、やっぱりお客さんなのです。間違いなく、それしかないのです。

かっこつけるんじゃないよ、バカヤロウ。

誰に対するバカヤロウかよくわかりませんが、令和のバカヤロウ解散ということで、これにてご挨拶をしめさせていただきます。

松尾スズキさんが言うように、すべてはお客さんのために。色々理屈をこねても仕方がないのですよね。大人計画の、日本総合悲劇協会の、お芝居を観て、小難しいことを考えるのではなく、「あー、面白かった」と劇場を後にするのが一番なのですよね。ありがとうございました。