【ザ・プロファイラー】温和な革命児 イラストレーター・和田誠(7)
BSプレミアムの録画で「ザ・プロファイラー 温和な革命児 イラストレーター・和田誠」を観ました。
きのうのつづき
1977年から始めた「週刊文春」の表紙の仕事。2017年までの40年間で2000号を描いた。
当初は他の雑誌と同じで、表紙に記事の内容を載せていた。しかし、和田はタイトル以外の文字を表紙に入れることに抵抗した。「デザインが汚れるから」という理由だった。1988年からは表紙から記事の内容が無くなった。11年間、言い続けた和田の粘り勝ちである。
本のカバー裏に印刷されるバーコード。これも「デザインを汚す」という理由で、抵抗した。
便利なもの、ということはもちろん僕にもよくわかっているのです。でも、便利が美しいもの、面白いもの、洒落たものを犠牲にしていいものか。それが僕の根本的な疑問なんですね。(和田誠「装丁物語」)
結局、和田の主張に沿って、対策が練られた。バーコードはシールで剥がせるようになっている。また、本体にではなく、帯にバーコードを印刷したものもある。
75歳のとき、和田は再び無報酬の仕事に取り組んだ。2011年、東日本大震災の少し後のことだ。
日本人として俺にできることはなんだろう。あまりのことで茫然としている。というのが半分あって、何をしていいのかわからない。僕にできるのは絵を描くことだけ。
これまでに描いたモノクロの線画に色を付けるなど、いわゆるセルフカバーの作品を1枚1万円で販売。被災地に寄付した。総数は1000枚以上だった。
和田は頼まれた仕事は滅多に断らなかったという。80歳を超えても、白い紙と向き合った。最後に描いたのは、友人・椎名誠の本の表紙だった。
2019年10月7日。肺炎のため、和田誠永眠。83年の生涯を閉じた。
亡くなった後、和田の机から音符が出てきた、と言って平野レミは歌い出した。
いたずらねこのえほん のんびりめくる ロッキンチェア ひとりだけのパラダイス わたしのへや だけどちょっぴりさむい あなたがかえったあと ちいさなへやもひろい ひとりだけだと ラジオがそっとながす あかるいこいのメロディー かがみのなかのわたし ちょっとにっこり
泉麻人、近藤サト、阿川佐和子、そして岡田准一が感じたことをまとめるとこうだ。
少年のまま大好きな絵を描きつづけた。様々なジャンルを吸収し、サブカルチャーの太い道を切り拓いた。文句を言うより、やりたいことを見つけようと提案し続けた。モノづくりの楽しさを探り続けた。
クリエイティブとは、そういうことではないか。そう思わずにいられない。和田誠さんの生涯を振り返りながら、涙している僕はそう思う。