【三遊亭兼好 大江戸笑百科】~長屋の巻~大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然
内幸町ホールで「三遊亭兼好 大江戸笑百科~長屋の巻~」を開催しました。(2022・04・22)
落語に登場する熊さん、八っつぁんは皆、裏長屋に住んでいる。あまり表通りとか、ましてや一戸建ての家に住んでいるなんてのは、聞いたことがない。実際、江戸の職人や小商人は皆、長屋に住んでいたのだが、それには理由があるそうだ。
また、大家と言えば親同様、店子と言えば子も同様とよく言うが、家主と店子の関係は実に密接だったそうで、そこには幕府が作った町奉行の制度がしっかりと出来上がっていたからだそうだ。
落語を聴くのに、ちょっとしたミニ知識があると、落語はもっと面白くなるのでは?とスタートさせたのが、この「大江戸笑百科」だ。時代小説家の飯島一次さんをゲストにお迎えしての、兼好師匠との対談は今回も大変に興味深かった。
江戸中期の「江戸」の人口はおよそ100万人。そのうち、武家が50万、町人が50万でほぼ半分ずつだった。だが、江戸の総面積の約6割に武家が住み、約2割は寺社が占めるから、残りの2割弱に町人が住むしかなかった。だから、狭い面積の中でひしめくように住むには、長屋という住み方しかほぼなかった。しかも、一部の商家などを除いて、大概の町人は裏長屋に借家住まいしていた。
九尺二間というけれど、間口九尺(2.7メートル)、奥行き二間(3.6メートル)が標準的な長屋の広さ。座敷が四畳半、土間が一畳半。土間は水瓶や竈など炊事をするスペース。厠は共同、ごみも共同の掃きだめに捨てる。共同の井戸で食器や野菜を洗い、洗濯もした。神田上水や玉川上水から引いてきた水で、釣瓶ではなく、柄杓ですくっていたそう。店賃は500~1000文(1~2万円)。
ここで大切なのは、大家の役目だ。大家とか家主と呼ばれる人物は、この長屋のオーナーではない。地主は別にいる。大家はこの地主から雇われている、いわば管理人なのである。店賃の取り立ても大家がするが、その5%しか大家は貰えない。それでは食べていけない。実は、大家さんの収入の大半は、厠から出る糞尿を郊外の農家に売った下肥代だった。これが何と、年に30~40両、今のお金にすると300万円から400万円になったというから驚きである。化学肥料などない時代、下肥は高く売れたのだ。
大家は町奉行にとっても、大切な役割を担っていた。よく町役人と言うが、その通りで、その長屋の自治会長として、町名主に店子に関する様々な届けをする役目を担っていた。出生、死亡、婚姻、転居。逆に町奉行からの通達を店子に伝えるのも、大家の役割だった。
大家は店子の連帯責任者だった。盗賊、放火、殺人などが出た場合は、監督不行き届きで責任を取らされ、重い罪の場合は遠島などもあったという。だから、入居希望者が来たときには、詳細な身元調査をして、厳選したという。
三遊亭けろよん「黄金の大黒」
三遊亭兼好「粗忽の釘」
中入り
対談 三遊亭兼好×飯島一次(時代小説家)
三遊亭兼好「小言幸兵衛」