不朽の名作「あしたのジョー」時代と生きたヒーローは今も生き続けている(6)
NHK―BSプレミアムの録画で「アナザーストーリー あしたのジョー・時代と生きたヒーロー」を観ました。
きのうのつづき
マラソン競技でオリンピックで2大会出場した有森裕子。有森にとって、ジョーの物語と言えば、あのシーンが象徴的だと言う。それは、ジョーの最後の試合、世界王者のホセ・メンドーサとの一戦だ。
無敵のホセに対して、ジョーはボロボロになりながらも、何度も立ち上がる。結局、試合には敗れたのだが、ジョーは全てを出し切っていた。
燃えたよ…真っ白に…燃え尽きた…真っ白な灰に…。
有森が語る。
ラストシーンのあの燃え尽きるという、燃え尽きるという言葉に本当に憧れましたね。そこまでやれるってことに本当に憧れたし、そこまで追い込むことにものすごく憧れました。
ジョーと出会ったのは、小学生の頃。きっかけは同級生の男の子だった。
偶々、小学生のときに私が思いを寄せていた男の子がいて、卒業アルバムに将来の夢を書くところがあって、「ボクサーになりたい」って書いてあったんですね。で、従兄弟のお兄ちゃんが漫画を持っていて、それで「あしたのジョー」に興味を持つようになったという。
その後、有森は高校時代に本格的に長距離競技を始めたが、全国的には無名だった。思うように結果が出なくても、ひたすら走り続ける有森。社会人となって、ようやく頭角を現し、オリンピック代表に選ばれた。
そして迎えた、1992年のバルセロナオリンピック。前評判は決して高くなかった有森だったが、優勝候補と最後までデッドヒートを繰り広げ、銀メダルを獲得。
このとき、脳裏に浮かんだのは、あの真っ白になったジョー、の姿だった。
有森が言う。
そのときは多分、あのシーンは彼は死んだシーンなんです、私の中では。そこまでやって、燃え尽きた。死んでもいいという、それくらいの勢いでというのが、バルセロナではあったと思うんですね。
日本女子マラソン史上初となるオリンピックでのメダル獲得。だが、周囲の反応は意外なものだったという。
天狗になってる。わがままだ。でもしょうがない、メダル取ったし。そういうトーン、空気なんです。
達成感とは程遠い複雑な気持ちを抱いた有森。次のステップへと動き出したものの、足の怪我で走れなくなり、入院を余儀なくされた。
誰一人、見舞いに来ない。あの当時はもう悔しさしかなかったんです。なんで、メダル取って、こんな自分がいるんだろうと。
それでも再び立ち上がる。
もう一度、人生正しかったか、を知るためにも、実績を持たなきゃ、肩書を持たなきゃ、それは何かというと、スポーツ選手は悲しいかな、オリンピックしかないんですよ。
この頃、有森の元に思わぬものが届いた。有森がジョーのファンだと知ったちばてつやが激励の色紙を贈ってきたのだ。そこには、ジョーに託したメッセージが添えられていた。
一緒にアトランタの舞台を走ろう。
1996年、なんとか掴んだ二度目のオリンピック。ジョーとともに、アトランタの舞台に挑んだ。
よくやめなかったね、と言われます。なんで、諦めなかったんですか?って。いや、諦める理由がなかったから。という風に私は言えちゃうんですよね。
レース中盤まで2位集団につけていたが、30キロ過ぎでスパートをかける。その後、1人の選手にかわされるも、何とか食い下がった。そして、2大会連続のメダル獲得。メダルは前回の銀には及ばなかったが、全てを出し切った。有森はインタビューでこう答えていた。
メダルの色は銅かもしれませんけど、終わってから、なんで頑張れなかったんだろうというレースはしたくなかったし、今回は自分でそう思っていないし、初めて自分で自分を褒めたいと思います。
このとき、思い浮かべていたのも、ジョーのラストシーン。バルセロナのときとは違って見えたという。
アトランタ終えた時に、いや死んじゃ駄目なんだ、死んだように見えるけど、あそこから彼がもしかしたら…別のシーンを想像してもいいかもしれない、という風になったのは確かです。ゴールしたら生きてなきゃ、しっかりと。しっかりと生きる光が見える気がしました。
世代を超え、男女を問わず、多くの人々から愛された不朽の名作「あしたのジョー」。きょうが駄目でも、あしたのために。ジョーが見せてくれた不屈の魂は時を超え、困難な時代を生き抜く私たちにも勇気と希望を与え続けている。
ありがとうございました。