春風亭一之輔「抜け雀」実験的試みを仕掛ける高座は、遊び心満載かつ研鑽の心意気
国立演芸場で「真一文字の会」を観ました。(2022・01・19)
春風亭一之輔師匠、開口一番に上がった四番弟子の貫いちさんの「手紙無筆」を聴いて、自分が前座時代に古今亭志ん橋師匠にこの噺を習ったときのことを思い出したという。昔ながらの三遍稽古。それも噺を分割して、「きょうはここまで」という風に教えてくれる。都合、8日通ったという。テープレコーダーなどない時代は皆、そうやって覚えて伝承していったのだなあと思う。
「洒落番頭」「うどんや」「抜け雀」の三席。
「洒落番頭」、他の噺家さんで聴く洒落よりもレベルが一段高い気がした。そんな上手い洒落なのに、洒落とは何なのかを理解できない旦那とのギャップが面白いなあ。
「うどんや」、このところヘビーローテーションでかけているとか。寒い季節、まさにこの噺はぴったりだ。鼻をすすりながら、うどんをすする仕草が何とも言えなく、美味しそう。
トリの「抜け雀」は一工夫が加わった。一文無しの男が描く雀は2匹。つがいである。夫婦。師匠は「ちゅん太郎」と「ちゅん子」と呼んでいたが。衝立の雀の評判を聞いて、やってきた男の父親は、「跳び続けていたら、疲れて死ぬ」と言って、止まり木を描くが、籠は描かない。代わりに松の木に雀の巣を描く。そうすると、やがて、巣に卵を産み落とす。これが、サゲへと繋がっていく。
さすが!と思った。一之輔師匠は実験のつもりでやっているのかもしれない。また、元に戻すかもしれない。だけど、落語は試行錯誤が大切だと思う。これで納得がいくようだったら、一之輔の「抜け雀」として残る可能性もある。ただ漫然と同じ噺を繰り返しているのではつまらないと考えているのだろう。
「うどんや」のことも言っていた。毎回、新鮮な気持ちで高座に掛けていると。鍋焼きうどんの中にコーンが入っているときもあるかもしれないと。そういう向上心が新たな笑いを生む起爆剤となる。一之輔落語がなぜ面白いのか、そのカギはそのあたりにありそうである。