【プロフェッショナル 書店店主・岩田徹】運命の一冊、あなたのもとへ(3)
NHK総合テレビの録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 書店店主・岩田徹」を観ました。(2018年4月23日放送)
きのうのつづき
岩田は妻と娘夫婦、そして3人の孫に囲まれて暮らす。今、幸せを噛みしめる岩田だが、町の本屋の生き残りをかけた戦いは、長く険しいものだった。
岩田は昭和27年、北海道美唄で生まれた。美唄炭坑で働いていた父は、そこで得た金を基に、岩田が6歳のときに書店をはじめた。娯楽の大きな柱だった漫画や雑誌。問屋から運ばれてくるものを並べさえすれば飛ぶように売れた。両親は忙しく、岩田はひたすら本を読んで育った。
岩田が振り返る。
本の中で空想の翼を広げて、ずっと家の中にいて、本ばかり読んでいたから、皆で力を合わせて難局を乗り切るっていうかさ、そういう話って割と好きなんだよね。
17年後、23歳のとき、父が体調を崩し、それまで札幌で商社マンをしていた岩田は書店に戻り、働くことになった。店はうまくいっていた。でも、その仕事にやりがいはあまり感じなかった。
岩田が言う。
問屋さんが勝手に商品を送りつけてきて、それをお金に換えるだけの商売だったから、あまり魅力がなかったですね。自分じゃなくても、誰にもできるだろうと。
状況が変わったのは90年代。バブル崩壊後の不況の中、売り上げが激減した。岩田は蓄えを取り崩し、店舗を改装。売り場を広げた。営業時間を延ばしたり、宅配サービスもはじめたりした。でも利益はほとんど出ず、赤字が続いた。町にあった本屋は次々と閉店していった。
毎月末、食べ物が喉を通らなくなると、つらくなるよ。眠れなくなったりとかさ。解決策が見当たらないんだよね。同じ業界でうまくやっている人いないし、次の手を打っては潰れ、次の手を打っては潰れていくから、皆が。周りでどんどん討ち死にしている。荒れ野原にいるようなもんだから。
ある日、岩田は店のトイレで下血し、倒れた。すぐに緊急手術を受け、何とか一命をとりとめた。病院のベッドで岩田は考え続けた。自分は何のために本屋をやっているのか。どんな本が売りたいんだ。
答えが出ないまま店に戻った岩田は一冊の本と出会う。歴史書「逝きし世の面影」。幕末から明治の日本を訪れた外国人たちの記録から、当時の日本の姿を鮮やかに浮かびがらせた一冊だ。
こういう本というのは、バケツの底からひっくり返したように、ショックを与えてくれるよね。「私は何も知らなかった」と「日本人ってこんなんだ」ってのを、正直に書いてあるわけですよ。けなしてもいたり、褒めていてもいたり、いろんなことをしてんだけど。こういう本をね、1冊でも多く売りたいと。
(本は)作家さんがあとから来る人間に対して出したパスなんだよね。ボール。それを本屋が手助けしながら後ろにまたパスを出して読者に渡して、それが本屋の使命じゃないかと。
岩田は問屋が送ってくる本をそのまま並べるのをやめ、自分が面白いと思う本を注文することにした。そして、本の面白さをもっと知ってもらえるよう、書評を店のホームページや地元紙にひたすら書いた。
店は相変わらずの赤字。それでもパスをつなぎたい本を探そうと、ますます本を読んだ。
そんなある日、高校時代の先輩に窮状を話した。すると先輩は1万円札を差し出して、こう言った。「1万円で俺に合う本を探してほしい」。岩田は早速店に戻り、先輩の人となりや、これまでの読書歴から本を選んだ。先輩は「面白い本ばかりだ」と絶賛し、1万円選書を知り合いに宣伝してくれた。
だが、なかなか広まらない。格闘を続けて10年以上が過ぎ、蓄えは底を尽きかけていた。でも、本屋は辞めたくなかった。
やめたら、自分の人生を否定されるような気がしたの。これで店がだめになっちゃうのは、いい本を売りたいと思っていた店がなくなっちゃうのは、本当に今までやってきた自分の本を読んできた人生を否定されるような気がしたの。
岩田はその後も意地で1万円選書を続けた。すると、ついに地元紙や利用した人の口コミから評判が高まっていった。そして今、1万円選書は3000人待ちとなり、店に足を運ぶ客も増えた。
今になってみれば、苦しいときがあったから、今があるのかなと思っている。これはね、本屋としては幸せですよ。だから日本一幸せな本屋なの。儲からないけどね、そんなに。
つづく