【アナザーストーリーズ】そのとき歌舞伎は世界を席巻した~十八代目中村勘三郎の挑戦~(4)

NHK総合テレビの録画で「アナザーストーリーズ そのとき歌舞伎は世界を席巻した~十八代目中村勘三郎の挑戦~」を観ました。

きのうのつづき

初日に目利きの観客をうならせるかが、重要だった。現地の関係者を入れた前日の通し稽古で、愕然とさせられる。登場人物の人なりや物語の粗筋を観客に伝える英語のナレーションが全く受けなかったのだ。

そのピンチを救ったのが、リンダ・オークランド。日本の芸術文化に通じ、黒澤明や宮崎駿などの作品の英語字幕を多く手がけている彼女は勘三郎と旧知の仲だった。

リンダが語る。

ゲネプロに「リンダ、出て来い」って言われたんですよ。なんで、私は英訳を手がけていないのに呼ばれるのかと思って、嫌々行ったら、ゲネプロのときに用意してあった英訳で全く笑いをとれなかったので、「リンダ、どこだ?」って出てきて、休憩のときに、「リンダ、訳してないだろ。全然、笑いがとれてない」「はい、私は訳しておりません。依頼されていないので」。

リンダは元の英訳を直すように頼まれ、突貫作業で取り組むことになった。

徹夜して直して、なんとか辛うじて、ある程度の笑いはとれたんですけど、やっぱり笑いをとりたかったんですね。

そして初日。勘三郎が演じるのは主人公の団七だ。義理人情に厚いがゆえに悲劇に追い込まれる役柄だ。一番の見せ場は、闇の中、極悪人の義理の父親を殺す場面。その父を手に掛ける凄惨なシーンが、表情の変化と相まって、幻想的に進行する。

そして、クライマックス。屋台崩しと呼ばれる奥の壁がはずれる大仕掛け。逃げる団七を追って飛び込んできたのは、何とニューヨーク市警のポリスたち。江戸時代の日本と現代のニューヨークが交錯する斬新な演出だった。

特設の芝居小屋に響いた嵐のような拍手はなりやむ気配がない。

現地まで観に行った大竹しのぶが言う。

自分が勝ちたいとか、名前を有名にしたいとか、そういうことじゃなくて、本当に楽しんでもらいたいということだったと思います。

勘三郎が気に掛けていたのは、多大な影響力のあるニューヨークタイムズの劇評。2日後、その記事は一面を飾った。「恐ろしい夢のような歌舞伎の祝祭と迷宮」。

中村扇雀が振り返る。

「ちょっと部屋に来てくれ」って、部屋に行ったら、メンバーが集まっていて、シャンパンが置いてあるんですよ。「あした(記事が)出ることになった。早刷が来た。日本語訳が来てる。ちょっと読んでみろ」。最初に言ったのは、「(またニューヨークに)帰ってこれるぞ」って。千秋楽まで日にちは短かったんですけど、次の日からお客さんいないんじゃないかっていうぐらいの恐怖感を皆覚えていたんで、兎に角大絶賛で。「帰ってこれる」って言った言葉が忘れられなくて。

ニューヨークタイムズの記事を書いたのは、演劇担当記者のベン・ブラントリー。ベンが当時を振り返る。

カーニバルのような軽妙さではじまったかと思うと、やがて主人公が地獄に堕ちる悲劇に引き込まれていく。すべてが調和していた。まるで、ヒッチコックのサスペンスのようで怖ろしいんだ。

歌舞伎が人間のドラマとして届いてほしいという勘三郎の願いが叶った劇評だった。

そのすべての場面は意識を超越した影の世界の出来事のように見える。ここでの暴力は実際の犯罪やホラー映画以上に濃厚な感じを与える。罪や魂の恐れを呼び覚ます、まるでドストエフスキーの小説のような心象風景に変化している。(2004・07・20のニューヨークタイムズより)

ベンはこう結んだ。

私が感じたのは、芸術的に深く真実に到達していれば、文化の壁を越えてしまうということだ。私が(彼の舞台を)初めて体験したことは、シェイクスピアの芝居を異なる言語で見ている人と同じだ。最初は言葉が分からなくても、やがて理解できるようになる。そういうものが彼の舞台にはあったんだ。

記事が出た翌日からチケットは完売。プレミアもつくようになった。この挑戦について、勘三郎はこんな言葉を遺している。

確かに歌舞伎は江戸という時代が生んだ古典です。同時に僕らが演じる21世紀の演劇でもある。歌舞伎だって、どこの国へも持って行くことができる。今を生きる役者として演じる場所に境目をつけたくないのです。(SKYWARD 2007年7月号)

勘三郎は江戸の昔から庶民に愛された歌舞伎の原点をよみがえらせようと、次々と前例のない挑戦を仕掛けたのであった。

つづく