澤孝子「左甚五郎伝~蟹」人情味あふれる名人譚にホロリとする
木馬亭で「日本浪曲協会 12月定席」を観ました。(2021・12・03)
澤孝子師匠が「菊春先生の十八番をやらせていただきます」と言って、左甚五郎伝から「蟹」をうなった。なんでも、談志師匠のお気に入りの演題だったそうで、生前、「蟹やってよお」とリクエストされたこともあったとか。
日本橋にある「黄金餅」という看板の餅屋に人だかりができている。「何かあったンすか」とある男が訊く。この男が左甚五郎なのだが、そのことは伏せている。どうやら子どもの盗みらしい。餅屋主人が、「この子の親はいないか?」と言って、お仕置きをしている。
男が主人に「この子が盗みをしたのか?」と訊くと、「お前さんが親か?」と返される。「俺は江戸に着いたばかりで、女房も子どももいない」。「何個盗んだんだ?」「盗んではいない。黙って手を出した」。
子どもに事情を訊く。家は貧乏で、父親は仕事場で怪我をして寝込んでいる。母親も長の患いで寝たきりだ。「だから、おいらが働いているんだ・・・何も食べちゃいない。美味しそうだから、つい手が出ちゃった」。
男が主人に訊く。「一つ餅をやると、身代が傾くか?」。そして、「子どもは可愛いものだ。一つくらい食べさせておやり」。「坊やもよくない。こんなこと二度とするんじゃないよ」・・・「今度は金を持ってくるんだよ、と頭を撫でれば病床の二親が拝むぞ。我さえ良ければ、他人はどうでもいいというのは良くない」。
男は気前よく言う。「俺が払うから、どんどん餅をおあがり」。「泥棒呼ばわりされたら、火をつけるぞ、ここらで初仕事するかな」と脅す。金は払うが、火はつける、と餅屋に言うと、「勘弁してください」。一皿100文。両親に土産に持って帰りなと子どもを帰した。子どもは喜んで帰った。
と、男は懐に手を入れ、「財布をすられた。金がない」。多分、確信犯だったのだろう。そのかわり、彫刻という技術を持っていると言う。餅屋主人は薪を持ってきて、100文のカタを彫らせた。大ノミ、小ノミを使い分け、「これが江戸での初仕事」と、蟹を一匹彫り上げた。
「へ!蟹かい」と馬鹿にしていた主人だが、煙管で蟹の甲羅を叩くと・・・斜めに這っていく。面白い!この蟹、動くぞ。野次馬たちが俺にもやらせろ!と騒ぐ。叩きたかったら、一皿食べろと妙な商売がはじまった。お陰で商売繁盛。評判が評判を呼び、お客は増えるばかりである。
この3年後には、その男は三代将軍家光公が「日本一」と称賛する大工になった。左甚五郎伝の人情味あふれるエピソードを楽しく聴いた。