鳳舞衣子「貝賀弥左衛門」世の中には間違いがある。疑いが晴れる日が必ず来る。待つのだ。
木馬亭で「日本浪曲協会 12月定席」を観ました。(2021・12・03)
初めて聴く義士伝に出会った。鳳舞衣子がうなった「貝賀弥左衛門」。貝賀は最後にほんのちょっとしか出てこないが、これも銘々伝として興味深い内容であった。
小田原の廻船問屋・江戸幸の若旦那、寅吉(27)と、品川宿の宿屋の武蔵屋の娘、お捨の間に起きたちょっとした勘違い、早合点が物語の芯だが、そこに名前のわからないお武家様が絡んで、なるほど!こういう義士伝もあるのか!と思った。
寅吉が江戸へ掛け取りに行って、小田原に戻ってきた。額は283両。だが、それとは別に寅吉に袂から3両の金包みが出てくる。これを父親は疑った。遊んだ金の残りではないか。使い込み疑惑である。
寅吉はハッとする。品川を立つ前日、武蔵屋の帳場で娘のお捨に283両を預けた。翌日、受け取ったとき、財布には280両しかなかった。3両足りない。寅吉はお捨を疑った。だが、今思い起こしてみると、風呂に入ったとき、3両は懐に入れて忘れていたのだった。
疑った武蔵屋さんに申し訳ない。娘のお捨さんに申し訳ない。早駕籠で品川へ。主人の武蔵屋長兵衛に事情を話す。すると、お捨は自分が3両失くしたものと思い、申し訳なさに、高輪の浜に行って、身投げしようとしたというのだ。
そこを通りかかったのが、あるお武家様。「世の中には間違いがある。疑いもいつか晴れる日が来る。死んではいけない」。そう諭したという。そして、3両の小判を渡してくれたのだという。
そのお武家様こそ恩人だ!武蔵屋の父娘は暮れの江戸を探し歩いた。元禄15年12月15日。高輪で人だかりがしている。なんでも赤穂浪士が仇討本懐を遂げて、引き揚げてきたという。その見物でごった返しているのだ。引き揚げる浪士の前から七人目に、襟に貝賀弥左衛門、享年五十三と書かれている男をお捨は見つける。あの方だ!
探し求めていたお武家様。貝賀弥左衛門の前に武蔵屋は平伏して礼を言う。今生の別れだと弥左衛門は答える。命の恩人は赤穂義士だったのである。
赤穂浪士は2月4日に切腹。武蔵屋と江戸幸はお金を出し合い、木像を彫ってもらい、弥左衛門の菩提を弔ったという。良き義士伝を聴いた。