神田あおい「左甚五郎 あやめ人形」男女の情愛にグッとくる名人譚に
上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2021・10・28)
神田あおい先生で「左甚五郎 あやめ人形」を聴いた。甚五郎モノとしては、名人譚にスポットを当てるのではなく、男女の情愛にグッとくるものがある良い読み物だと思った。
源太親方が見込んだ甚五郎の腕。それゆえに、娘の綾を婿に迎えたわけである。神田小町と呼ばれた綾の美しさにやっかむ者も多かったそうだが、後に日本一の名人と呼ばれることになる甚五郎だったら、誰も文句は言えないだろう。
寛永寺の鐘楼堂の柱4本にそれぞれ龍を彫ってほしいという依頼が舞い込み、甚五郎もその1本を任せてもらえることになった。綾も妻として、さらなる名人の道を歩む夫の姿を見て、さぞ嬉しい思いだったろう。
だが、甚五郎はどんな龍を彫ればいいのか、思案を巡らせ、行き詰ってしまった。そんなときに、思いついたのが、自分の師匠である飛騨の甚兵衛親方のところにある「雲龍比翼」と呼ばれる秘伝の絵である。これを参考にすれば、きっと納得のいく彫り物ができるに違いないと考えた。
飛騨へ。甚兵衛と娘の尾花が出迎える。甚五郎が事情を話すと、甚兵衛は理解したが、一つ条件をつけた。「雲龍比翼」は家宝である。一子相伝とでもいうのであろうか。だから、我が家の婿となり、尾花と一緒になってくれれば与えても良いと。
これには甚五郎は困った。自分には綾という女房がいる。彼女を裏切るわけにはいかない。返事を待ってもらうことにして、江戸へ帰った。
「どうだったのか?」と尋ねる綾に対し、甚五郎は「雲龍比翼は川が氾濫して紛失してしまったそうだ。だから、今回の寛永寺鐘楼の龍の彫り物も諦める」と答える。甚五郎はあくまで、綾への愛を取ったのである。そして、甚兵衛親方に手紙を書く。「婿に入ることはできない。諦めます」と。
甚五郎の言動におかしなところがあることを察した綾は、こっそりとその手紙を読んでしまった。ここで出る綾の行動がすごい。すぐに父親の源太に知らせ、甚五郎の将来のために、「私は離縁する」。
自分の身を引いても、夫を出世させたいと思う綾の気持ちにジーンとなる。源太も理解し、父と娘揃って、甚五郎に対して「龍の彫り物を諦めるような男は、我が家から出て行ってくれ」と怒る。飛騨への手紙もこっそりと止めてしまった。
そこへ何も知らない甚兵衛と尾花が江戸に出てきて、尾花と甚五郎は一緒になる。「雲龍比翼」を参考に、素晴らしい彫り物ができた。4本の柱の龍の中でも、甚五郎の彫り物が日本一だと家光公は絶賛した。
立派に役目を果たした甚五郎に様子を知って、綾は自害。「もう思い残すことはない」という言葉を遺して。その事実を知った尾花は尼となり、綾の菩提を弔ったという。
当の甚五郎も綾の面影を人形に彫って、生涯離さなかったという。男女の愛情の深さを物語る素晴らしい一席だった。