神田春陽「河村瑞賢」若かりし頃からの“商才”が面白い読み物に

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2021・10・27)

神田春陽先生の「河村瑞賢」を聴いた。瑞賢の若かりし頃からの「商才」が面白可笑しく、楽しい読み物だった。

幼い頃に二親を亡くした与八郎(のちの瑞賢)は江戸で一旗あげようと、大坂を立つ。そして出会ったのが、荷車を曳く清吉だった。ここの与八郎の理屈が面白い。自分には身寄り頼りがいない。だから、江戸へ出て最初に声を掛けてきた人を親類にしよう。

清吉は荷車の後ろを押してくれる人間を探していたから、与八郎に声を掛けた。それが縁になる。縁は異なもの味なもの、袖振り合うも他生の縁。清吉もいい男だ。与八郎のその心意気が気に入った。

車屋の親方は面倒見の良い人だから、きっと助けてくれるだろう。だが、一芝居打った方がいい。この発想も面白い。清吉が与八郎の父親に恩を受けたことがあり、つまりは与八郎は恩人の息子という筋書きだ。実際、江戸の昔はこういうことがあったのかもしれない。

で、与八郎の商才だ。お盆になると、どこの家も飾り付けをする。だが、お盆が終わると、その飾り付けは棄ててしまうということを親方から聞く。そこで閃いた。

患っている二親(すでに死んでいるのに、すごい嘘)を治すために、精霊を収集しているという理屈を作った。あとは清吉に手伝ってもらい、荷車に載せ、真菰(まこも)を山のように集める。

お供えのご飯は蒸して、石臼で挽いて、蜜を加える。すると、甘いような、酸っぱいような、得体のしれないものができあがる。これを食べてみると、意外と美味い!「酢甘」と名付け、売り切った。

また、お飾りの牛や馬、つまりはキュウリやナスだね、これを細かく刻み、甘味噌に漬ける。「やたら漬け」と名付けて、これも売り切ってしまった。

与八郎はその商才が見込まれ、後には大坂で勘定奉行にまで取り立てられるほど、出世したという。面白い一席だった。