入船亭扇辰「江戸の夢」(宇野信夫作)一子相伝の茶葉にこめられた親子の情愛に心打たれる
日本橋公会堂で「通ごのみ 扇辰・白酒二人会」を観ました。(2021・10・20)
入船亭扇辰師匠の「江戸の夢」が素晴らしい出来であった。宇野信夫作品。3年前の2018年9月の扇辰・喬太郎の会でネタおろししたとき以来、二度目の遭遇だったが、初演よりも噺が熟成されている印象を持った。
まず、奈良屋宗味の父親としての切ない気持ちが心を打つ。6年前に酒の上の口論で人を殺め、姿を消した(宗味は「死んだ」と言っていたが)息子。一子相伝の製法で丹精こめてこしらえた茶葉を口にした宗味が、これは息子のこしらえたものであると確信したときの気持ちを想像するだけで、胸が詰まる。
「婿殿は酒を飲みますか?」と武兵衛おらく夫婦に問うときの気持ちはいかばかりか。この江戸見物に出てきた老夫婦が娘婿・藤七との出会いから語り始め、いかに親切で実直で働き者であるかを嬉しそうに話す様子を聞く宗味の心情を思うと、心が痛む。
6年前に自分の息子として、この江戸にいたときも親切で実直で働き者であったはずだ。そのときの様子を思い出していたに違いない。そして、酒さえ飲まなければこんな不幸は起こらなかったに違いないと悔しい思いもあっただろう。
でも、それは詮無いこと。今、幸せに田舎で庄屋の娘婿として立派に幸せに暮らしているならば、いいではないか。そう自分に言い聞かせるしかない。安堵したという気持ちもあるだろが、それ以上を求めてはいけない実の父親としての気持ちを思うと切ない。
「良い婿を持たれましたね。私も久しぶりのこの茶の味わい。嬉しゅうございます。秘伝の茶、よく会得なされた。そう、宗味が喜んでいたとお伝えください」。
一方、藤七の気持ちを考える。6年前に取返しのつかないことをしてしまった自分は、別の人間として再スタートしたのだろう。偶然出会った庄屋の武兵衛夫婦に拾われ、一生懸命働いて、新しい自分というものを作り上げた。幸い、娘のお照に惚れられ、婿に迎えられることになったのも喜ばしいことだ。
武兵衛夫婦が江戸見物に行くと言ったとき、迷ったに違いない。もう、実の父親とは縁が切れているという覚悟で生きてきた。だが、やはり情愛というのは残る。拭い去れないものだ。
「お父さん!私はあなたの知らない土地で幸せにやっていますよ」というメッセージをどうしても伝えたかったに違いない。そのために、良い茶の木を求めて離れた村まで行って買い求め、丹精込めて育て、そして茶葉を熟成させた。一子相伝、秘伝の製法による茶葉「玉の露」をこしらえ、義理の両親に託した。酒の上での失敗は消し去ることは出来ないが、せめて秘伝の茶葉を味わってもらい、父親に喜んでもらいたい。息子の気持ちにジーンとなる。
最後に武兵衛とおらくの夫婦の気持ちである。特に女房のおらくは何処の馬の骨ともわからない、自分の親の名前さえ明かさない藤七の素性をいぶかしげに思っていた。だが、武兵衛は藤七の佇まい、言葉遣いから品格を感じていた。真面目で一生懸命で実直な働きぶりにも感心し、間違いない男だと信じていた。
それが、江戸見物に行って、藤七の言われた通りに浅草並木の奈良屋という葉茶屋を訪ね、藤七が丹精した茶葉の目利きを頼んだことで、一気に間違いなかったことがわかる。武兵衛夫婦もまた真面目で実直な人間だからこそ、こうして素晴らしい婿を迎えることができたのだ。
さらに、娘のお照の腹には初孫が宿っている。こんな幸せなことはない。宗味は否定していたが、藤七の実父であることは間違いない。ということは、宗味にとっても孫である。そのことを肝に銘じて、この素晴らしい婿である藤七とこれからの日々を過ごしていこうと心に決めたに違いない。
奈良屋を去るときの武兵衛夫婦の様子が忘れられない。おらくが「あの方が藤七の・・・」と言うのを振り切って、武兵衛は「何も言うな!」と真っ直ぐ前を歩いて行く。「つばくらめ 幾年続く 老舗かな」。後ろではまだ深々とお辞儀をして見送る宗味がいる。なんとも印象的なエンディングである。