【ザ・柳家権太楼の了見】新人時代の人知れぬ苦労と努力があって、現在の“爆笑王”があるのだなあ。
よみうり大手町ホールで「ザ・柳家権太楼の了見」を観ました。(2021・09・05)
オープニング、落語評論家の長井好弘さんと権太楼師匠との対談が興味深かった。
まず八月中席鈴本のお盆興行について。例年、「さん喬・権太楼特選集」のところ、さん喬師匠が入院のため、喬太郎師匠が代演を勤めたことについて。権太楼師匠いわく「お客様の年齢層が違う。喬太郎の熱狂的な客層に、鈴本に居ながらアウエー感があった。そろそろ潮時かなあという思いも感じました」。
そして、本題の前座、二ツ目時代の話に。権太楼師匠(当時ほたる)が前座の頃は、圓生師匠が会長で「芸至上主義」だったから、下手な噺家は真打にしない。だから、二ツ目、前座が滞っちゃって、入門して3年は見習い。落語協会に登録もできず、当然、楽屋入りもできない。ただ、呼び込みでもやってろ!と。
それで、タレント活動みたいなことを始めた。文化放送「小野ヤスシのスーパー大作戦」という、各地のスーパーマーケットからの中継番組で、午後2時に小野ヤスシが登場するまで、スーパーの現場を温める仕事をやり始めたら、企業の評判が良く、他にも何社かから「宣伝ボーイ」みたいな仕事を頼まれてやった。
そして、夜はキャバレー廻り。ショータイムでステージで謎かけなどの大喜利をやる。と言っても、大きなキャバレーじゃなくて、場末のキャバレー。それで、鍛えられた面も多かったとか。
二ツ目(さん光)になっても、しばらくはタレント活動が中心だった。もしかしたら、こっち(タレント)の方が向いているかもと思っていたが、段々やっていくうちに違うんじゃないかと考えるようになる。現在でいうところの、バラエティー番組のひな壇芸人。瞬発力が問われるだけ。「いや、これはできないぞ」と気づき始めた。
きっかけになったのは、「ぎんざNOW!!」の総合司会の話が舞い込んできて、「他(担当番組)は全部降りろ」と言われたので、従った。そうしたら、新年度4月になっても声が掛からない、5月?9月?と待てども待てども、お呼びがかからない。で、「落語に戻ろう」と決心した。
これが成功した。NHK新人落語コンクール。落語協会からは決勝に3人出た。小朝、朝太(志ん輔)、さん光(権太楼)。小朝さんは断トツの上手さだったから、優勝したけど、さん光「反対俥」の評判が良くて、各寄席の席亭が使おうという風になったし、ホール落語や地域寄席に呼ばれるようになった。以来、さん光と言えば「反対俥」のイメージが定着したとか。
あと、これは対談ではなくマクラで権太楼師匠がおしゃっていたのだが、「壺算」を爆笑落語にしたのは、私ですと。それまでは、そんなに演る人が多くなかった。数字を騙すという意味では「時そば」がメジャーで、「壺算」に手を付ける人が少なかった。そこで、仁鶴さんの音源を取り寄せたり、小燕枝さん(現・さん遊)の音源を字起こしして、自分なりのアレンジを加えたのだそう。
この日は、「甲府ぃ」「禁酒番屋」「たちきり」の三席だったが、「たちきり」以外は虫干しに近い高座とご自身が言っていた。
「甲府ぃ」は前座仲間と勉強会で演って以来じゃないか、と。とっても権太楼師匠らしいと面白さのある高座だった。
特に可笑しいのは、伝吉がおからを食べているのを見て殴る金太のキャラクターを立てたところ。「こいつは“卯の花の源次”という二つ名のある悪党です」とか、「張り付け獄門に刑にしなくちゃいけない奴です」とか。
おいおい、お腹が空いて、ついおからに手を出してしまっただけじゃないか、とたしなめる旦那との対照が楽しい。伝吉が法華繋がりで旦那に気に入られ、どこか知らない店で働くより、うちの店で働かないかと誘う。なんでも、金太が十手持ちになるから辞めたいと言っているというのも、銭形の親分のところに行くんですと言って銭を投げる仕草をするのも、噺の本題とはまるで関係ないんだけれど、いかにも権太楼師匠らしくて嬉しかった。