柳家喬太郎「錦の舞衣」①お須賀鞠信馴れ初め

三鷹市芸術文化センター星のホールで「柳家喬太郎みたか勉強会」を観ました。(2021・08・14)

喬太郎師匠でこれまでに数回ほど、「錦の舞衣」を聴いているが、その場合は中入りを挟んで、前編と後編に分ける演じ方がほとんどだった。鈴本での特別興行(「笑えない喬太郎)と「圓朝作品集」の2回」では2日間連続で前編と後編に分けていた。今回はそれをあえてせずに、昼夜公演2席ずつの4席に分けて演じる試みをした。そうすることによって、人物の心理や情景の描写にさらに磨きがかかり、今まで聴いてきた中で一番の出来だったように思う。そこで、4席をどのように分けて演じたのか、4日間にわたって記録しておきたい。

柳家喬太郎「錦の舞衣~お須賀鞠信馴れ初め」
北川町の近江屋の旦那に、絵師の狩野毬信が悩みを打ち明ける。「私も思うところがあるのです。絵描きなんか、やめちまおうか。一生懸命やれば、評判もあがる。でも、ほしいものが手に入らない。修業に身が入らないのです」「それは買えるものかい?」「買えるものなら、買っていただきたいくらいです。女房にもらいたい女がいるんです」「結構なことじゃないか。誰だい?」「霊巌島の踊りの師匠、坂東須賀です」「若くて、いい女で、名人だ。いいところに目をつけたな」「踊りはまさに名人の性質(たち)です。私もいつかは人様から名人と言われたい。ああいう女を女房に持てば、腕が上がると思うのですが」。旦那は「私が口を利いてあげるよ」と言って、吾妻屋の金八に話をした。「名人同士の夫婦、結構なことではないですか。私が口を利きましょう」。

金八が須賀に会いに行って話をした。「師匠、あなたは名人との評判。いつまでも独り身じゃぁ、いかがかと。いい旦那がいるんだが・・・」。須賀はキリリとした口調で断る。「私は誰かに面倒を見てもらいたくないんだ。自分の芸で身を立てたい。亭主をもらい、女房になると、煩悩が働き、芸に障る」。これを聞いた金八は感心した。「芸人連中に聞かせてやりたいよ。だがな、この亭主は芸の肥やしになるぞ。人様の評判もよく、腕もいい。名人気質の男の中の男だ。その男が師匠に惚れている。ちょいと話を聞いてもらえませんか?狩野派の絵師で、狩野毬信という男です」「あの方だったら、何度かお会いしたことがあります。気性も真っ直ぐで、名人になる方です。実は先生の絵を持っているんですよ」。そう言って、須賀は「坂東須賀の舞い姿」の絵を持ってきた。「先生は師匠の絵を描いているんですか」

「北川町の旦那に頼んで、描いてもらったんです。でも、掛けられないんです。稽古しているところを見て、腕が上がるだろうと描いて頂いた。あの人の偉いところは、自分の名前を書かないところです。雪舟のような絵師の足元に及ぶようになったら書く、と。私はまだ絵に名前を書く力がありません、と。この絵を描いているようでは、私は一緒になれません」。須賀は筆と墨を持ってきて、手首を描いた部分を墨で汚して言う。「この絵を毬信先生に。先生は絵は上手いが、踊りを知らない。私は左の手をこんな風に使ったことはありません。こんな絵を描いているようでは、一緒になれません」。

これを聞いた毬信は膝を打った。「なるほど!旦那、須賀が私の描いた絵を汚してくれました。怒るどころか、惚れ直しました。なるほど、須賀は名人の気質。私は確かに踊りは知らない。こんな絵を描いているようでは、一緒になれない。それを教えてくれました。見込んだ通りの女だ。上方に行って、絵の修業のし直しだ。それまで、須賀の前に顔は出さない」。そして、上方へ行って6年、164枚の絵を描いた。そして、やっとの思いで、「これならば」という絵を一枚描くことができた。

須賀を訪ねる毬信。「ごめんください。おっかさん、申し訳ないことだと思っていました。お元気そうで何よりです。何とか、6年、164枚目に、この絵を描くことができました。会ってくれるかどうか、わかりませんが・・・」。「お須賀や!毬信先生だよ!」。ぬるま湯を盥に入れて、須賀がやって来る。「先生、ようこそ。上方でご修業されたそうで。ご苦労様」「お気に召すかどうか。これならば、お目にかけられるという絵を持って参った」。草履を脱いだ毬信の足を洗う姿は、まるで夫婦のようだ。「ご覧いただけるかな?この絵、いかがかな?」「静御前ですね」「まだ、間違いがございますか?」「私にはとても、こうは舞えません。先生!ありがとうございます」「それでは、須賀さん!」「かようなふつつかな女ではございますが、よろしくお願いします」。祝言の真似事をして、二人は晴れて夫婦になった。