【プロフェッショナル 狂言師・野村萬斎】どうして、僕は狂言をやらなければならないの?宿命を、生きる力に変える(中)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル仕事の流儀 狂言師・野村萬斎 果てなき芸道、真の花を」を観ました。(2014年12月15日放送)

きのうのつづき

22歳で壁にぶち当たった萬斎はそのときのことを、こう振り返る。

やろうと思えばやろうとするほど曲が逃げていくような、一生懸命やればやるほど曲が逃げていくような、ただ単に体がきけばいいとか、一生懸命やるだけではないんですね。父がやっていたものに近づけたかっていうことになると、全然だなと。慙愧の念というんでしょうかね。もう一回やり直したいぐらいの気持ちになりましたね。

味わい深い狐…。些細な仕草一つ一つに試行錯誤がなされ、父・万作は20回以上、さらなる高みを目指してもがいていた。萬斎は自らに課せられた宿命の恐ろしさに慄いた。

37歳。長男・裕基の初舞台。かつて自らが通った道を我が子も歩む。「靭猿」の子猿。子猿に過酷な運命を告げる場面で、萬斎の目から舞台では流してはならない涙が零れた。

萬斎が語る。

この子にこういう道を歩ませることに、とても責任を感じました。この子にとってそれがいいのか、悪いのかって強く思いましたけれども。

4年後の稽古のとき、息子が恐れていた問いを萬斎にした。「どうして僕は狂言をやらなければならないの?」。萬斎は言葉に窮しながら、「僕もそう思っている」と答えた。

再び、萬斎が語る。

なぜ狂言をやらなければならないのか。その答えは狂言をやらない限り出てこないし、やっても永遠に見つからないかな。自己存在証明をするためには、その型を使いきらない限り、型を埋め込まれているという過去が成り立たなくなるわけですね。ですから、変な話、闘い続ける。証明し続けない限り、生きて行けない。

80歳を超えて、いまだに高みを挑み続ける万作が語る。

限りないんですよ。きりがないんですね。時と花という言葉があって、20代は20代、40代は40代、50代、70代、80代と芸というものは流動していきますから。固まってそのままいくわけではありません。子どものときからやっていれば、ある技術は身につくんです。それに加えていくのは彼の世界なわけで。これからですよね。これからです。

つづく