【プロフェッショナル 狂言師・野村萬斎】どうして、僕は狂言をやらなければならないの?宿命を、生きる力に変える(下)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル仕事の流儀 狂言師・野村萬斎 果てなき芸道、真の花を」を観ました。(2014年12月15日放送)

きのうのつづき

萬斎は人生をかけた大舞台に挑もうとしていた。野村家に伝わる254演目の最高峰、しかも一子相伝とされる演目「狸腹鼓」への挑戦である。家を継ぐ者だけに許された秘曲に、48歳で挑む理由は。

萬斎が語る。

体力的にそれにしがみついても、(年齢的に)しがみつけない部分というのが出てくる。やっぱり年を取って味わい深い演技になるっていうことを、もうそろそろ目標にしているということなんでしょうかね。大曲をやるっていうことは、それだけ自分と向き合うチャンスになる。

「狸腹鼓」は、尼の姿に化けた身重の狸が、猟師にその正体を見破られ、捕らわれてしまう。そこで赤子を宿したお腹で腹鼓を打って命乞いをする物語だ。

今回、萬斎は父・万作の許可を得て、笛の変調を施した。物哀しげな、しっとりする曲にすることで、より味わいが深くなると考えたからだ。実は萬斎は8年前に一度、この「狸腹鼓」に挑んでいる。ただ、父の型を踏襲だけに終わってしまった。今回は自分の世界をいかに出せるかに挑みたいという。

万作が語る。

狸の心。狸に心があるかどうかはわかりませんけれども。心を描こうとする。そこへ行くと、一番奥になっていくじゃないですかね。頭で考えるというよりも、肉体が中身を考えさせてくれる。役者の肉体がその役の中身を考えさせてくれるというところまでいけば、本物だと思います。

稽古をする萬斎。改曲したため、なかなか動きが合わない。抜本的な振り付けの変更が求められた。命乞いの腹鼓では、お腹の子を思い、躊躇する悲哀をこめる。悲しみを表わす首の振り方。子に呼びかけをするようなお腹の撫で方。母狸の葛藤は如何ばかりか。

萬斎が語る。

曲の何か通底するものにならないと型をやっているだけになっちゃって、段々自分の芸にしていくというときには、元々曲が持っている本質を自分の中にある本質とクロスして合わせてやらないと。一度解体して、再構築みたいな、そんな再創造をするということなんでしょうけどね。

つくづく狂言師の人生とはってことも考えたんですけど、春からはじまったときに、やがて花を咲かせて実をつけ、そして最後は何となく雪に覆われて「無」になるような感覚。父が長生きをしてそういう境地を見せてくれていると。

自分はそういう意味で移ろいを感じながら、この道を突き進むのかなという気がしますけど、できればその無の境地にまで行きたいものですけど。

国立能楽堂の公演3日前。ドライリハ。狸が命乞いをして助かり、月を見上げるラストシーン。考え込んだまま動けない。見上げるだけでは、何かが足りない。余韻のある終わり方はできないか。答えは出なかった。

そして、衣装を着けての通しリハーサル。月を見上げながら、もう一度、優しく我が子を思い、お腹を撫でた。思わず体が動いた、無心の演技だった。父・万作はこれを見て、思わず満面の笑みを浮かべた。

そして、本番。野村家の秘曲「狸腹鼓」を演じ切った。

プロフェッショナルとは?萬斎は言う。

美しさをもって人の心を惹き付ける。面白さをもって人の心を繋ぐ。そして、諦めないのが、狂言師かな。

まだまだ、野村萬斎の挑戦は続いている。

おわり