立川笑二「妾馬」長屋の連中が皆で育てたおつるだから、殿様も「お世継ぎの目通り」を許した。素敵な噺に痺れた。
道楽亭ネット寄席で「立川笑二独演会」を観ました。(2021・04・11)
笑二さんの「妾馬」がとても良かった。よく「妾馬」はおめでたい噺とされるが、それは町人である八五郎が殿様に気に入られて出世するからだと思う。ただ、妹のおつるを殿様がご通行中に気に入ったから、側女(そばめ)にしたいと所望し、おつるがお屋敷勤めになること自体に腹が立つという女性の意見を聞くことがある。時代が時代であり、町人の中にも妾文化はあったのだから、そこは割り切ってはどうかと思うのだが、世継ぎを産んだから側室となって「お鶴の方」と身分が上がるというのは、女は子供を産む機械ではないという、反感もあるのだと思う。落語という文化は、昔の風習や風俗や世の中の仕組みで出来ている部分があるのだから、そこを寛大な気持ちをもって楽しめばいいのにとも思う。
そこの部分を笑二さんはソフトに緩和した、という店で素晴らしいと思った。まず、大家さんから「おつるを側女にしたい」と殿様が言っていると聞いたときの、八五郎が物凄い剣幕で怒るのがいい。勝手に連れていって妾にするとは何事だ!と怒る。笑二バージョンでは、両親が亡くなっているので、大家さんが親代わりという設定。その大家さんが「おつるの幸せを思ったら、殿様のところに行く方がいいと思う」という。
これは説得力がある。兄貴のお前が定職に就かずに、ブラブラして、おつるに兄らしいことを何ひとつしてやれないのだから、八五郎はグーの音も出ない。そうだね、殿様の側女になった方が幸せだよね。八五郎も納得の上で、おつるはお屋敷奉公することになる。最初の怒りは一方的なものであり、冷静に考えると、だらしない生活をして、妹に迷惑をかけている自分を反省しなくちゃいけないとさえ思う。合点だ。
そして、お世継ぎが生まれたという知らせ。この時の長屋の連中の喜びようがよい。糊屋のばあさんが「初孫だ、初孫だ」と叫んでいる。血もつながっていない、おつるが赤ん坊を産んで、なんで初孫なのか?その理屈がいい。両親に先立たれ、おつるは長屋の連中がよってたかって育てたようなものだからだ。だから、自分の子ども、もしくは孫が生まれたように喜んでいる。親代わりの大家もことのほかの嬉しさだろう。
八五郎が殿様に対面に行った。妹のおつるにも会った。その時に、八五郎は妹に謝る。「俺がしっかりしていないから、殿様が引き取ってくれた。兄らしいことが何もできなかった。仕事して稼いでいれば、お前に苦労をかけることはなかったのに。すまなかった」。そして、「今は真面目に働いているんだ。ちゃんと稼ぎもあるんだ」と、妹を安心させるのもいい。
さらに八五郎は殿様にお願いする。「俺ばっかりが赤ん坊を見せてもらうのは、長屋の連中に申し訳ない」。おつるが育ったのは長屋の皆のお陰だと訴える。すると、殿様も物分かりがいい人物だ。「長屋の連中にも世継ぎの目通りを許すぞ」。これは、美談だ。
どうだろうか。この笑二さんの演出であれば、時代が違った現代でも、「女性差別」と言われない「妾馬」に仕上がっているのではないだろうか。少なくとも、僕にはそう思える素敵な「妾馬」だった。