春風亭柳枝「佐々木政談」子どものあどけなさ、無邪気さ。お奉行様のおおらかさ。その明るい高座で幸せになれる。

浅草演芸ホールで「九代目春風亭柳枝真打昇進襲名披露興行」を観ました。(2021・04・14)

鈴本、末廣に続いて3回目の披露目を観た。口上の司会は五明楼玉の輔師匠。副会長の正蔵師匠は「この人には品がある」と褒めた。亡くなった三津五郎丈が「どんなお役を演るときでも品がないといけない」と言っていたと。稽古をつけてあげたときの御礼にバームクーヘン、それもマッターホルンのバームクーヘンを持ってきたお坊ちゃまエピソード。九代目を継ぐというのは、先代までの代々に名前に泥を塗らないようにするという覚悟がいる、とも。

常任理事のさん喬師匠、「私が稽古をつけたときは、入山煎餅でした」と言って笑いを取ったあと、「この人にこの噺を習いたいという思い入れがきちんとある」と評価した。師匠に正朝さんを選んだのも先見の明があると。師匠は弟子の名を残すことはできないが、弟子は師匠の名を残すことができるとも。会長の市馬師匠も、柳枝という大名跡は「歌舞伎の團十郎、歌右衛門のようなもの」と喩え、演芸界の大看板になる期待をこめた。

師匠・正朝は弟子入りエピソード。親を連れてきなさい、と言ったら母親だけ来た。お父さんはお仕事でお忙しいのかな?と思っていたら、「(噺家になることに)大反対だった」と。小杉家は誰が継ぐんだ!と。名跡については、正太郎のままではいけないと思い、真打らしい名前を探したら、運よく落語協会預かりで「柳枝」があるという。これは!と思い、権太楼師匠を皮切りに市馬会長ほか幹部たちに諮ったところ、「大賛成」をいただき、トントン拍子にことが運んだ。「覚悟をもって落語と取り組んでほしい」と。

三遊亭伊織「四人癖」/春風亭一之輔「桃太郎」/ホンキートンク/三遊亭歌奴「宮戸川」/春風亭一朝「雑俳」/仙志郎・仙成/三遊亭歌武蔵「支度部屋外伝」/五明楼玉の輔「つる」/伊藤夢葉/柳家小八「噺家の夢」/春風亭正朝「看板のピン」/林家正楽/林家正蔵「悋気の火の玉」/柳亭市馬「花筏」/口上/ロケット団/橘家圓太郎「強情灸」/柳家さん喬「替り目」/立花家橘之助/春風亭柳枝「佐々木政談」

柳枝師匠、あどけない、無邪気な子どもを演じるのが上手い。お奉行ごっこに興じる子どもたちの様子は、自分が近所の空き地で鬼ごっこをしていた頃の記憶を蘇らせてくれる。令和の時代にはなくなってしまった昭和の原風景のような下町の郷愁が感じられる。

中でも主人公の四郎吉は、あどけない中にも、どこか機転が利く男の子という部分がよく出ている。頓智頓才とでもいうのであろうか。そういう子どもが一緒に遊ぶ友達の中に必ずいたものだ。頭がいい、というのとは違う。だから、学校の成績が良いわけではない。だけど、この子は将来大きくなったら、世間を上手くわたっていくのだろうな、と思う子がいた。

四郎吉はモノに動じない。臆することがない。だから、お奉行ごっこのお山の大将では終わらない。本物のお白州に呼ばれても、佐々木信濃守と対等に渡り合える。こまっしゃくれている。だが、「真田小僧」の金坊の狡さとは違って、嘘は言わない。与力たちを軽く皮肉ったりするのは、ちょっと出来過ぎとは思うが、両親のどちらが好きかと訊かれ、饅頭を二つに割って、「お奉行様、どちらが美味しいですか?」と返すところなどは、さすがである。

柳枝師匠の場合は、この四郎吉の無邪気さに加えて、佐々木信濃守のおおらかさがよく出ているのが特徴だ。「よい、よい、すておけ」と、町人と武士の身分の違いにカリカリすることなく、寧ろ、四郎吉の頓智頓才を楽しんでいる。そればかりか、この才を見抜いて、十五になったら士分に取り立てるという見識の高さを柳枝師匠は巧みに描いている。

浅草演芸ホールの2日目は「火焔太鼓」をかけたという柳枝師匠。その芸の幅の広さと、人物描写の上手さ、さらに持って生まれた明るさで、九代目春風亭柳枝という名前を大きくしてくれることだろう。