笑福亭羽光「AKB親子」「みんな京阪」「妄想番頭」ユーモアセンスが光る新作落語を磨いて、5月の真打披露は準備万端!
ミュージックテイト西新宿店で「笑福亭羽光新作勉強会 一心不乱」を観ました。(2021・02・08)
今年5月の真打昇進を見据えて3回限定で去年10月から隔月でスタートした羽光さんの勉強会も最終回を迎えた。3回聴いてみて感じたのは、羽光さんの落語は人間に対する視線に優しさがあるなあということ、それにユーモアセンスが「爆笑」とは違う、「うん、それ、わかる!」という繊細さをお持ちだなあということである。
一席目の「AKB親子」は10年前に作ったものだそうで、登場するアイドルも大島優子を中心とした当時のAKBメンバーなので、アイドルを現在の人に入れ替えて練り直そうとしたそうだが、あまりはまらなかったので、10年前のノスタルジーで聴いてくださいとマクラで言っていた。おっしゃるように、無理やり現在のアイドルに置き換えるよりも、このまま演じる方が僕を含めた聴き手も共感できる新作落語だと思ったし、この先10年後にこのままやっても、全然通用すると思うし、大島優子を知らない世代が聴いても「そういうアイドルがいたんだねえ」とかえって興味を持ってくれる気がする。それは吉原がなくなっても、廓噺が通用するのと同じである。
作りは古典の「親子茶屋」のアイドル版なので、落語ファンなら入っていきやすいし、落語を初めて聴く人にも優しい新作だと思う。そして、マクラで合点したことは落語には三道楽、飲む打つ買うというのが出てくるが、現代は趣味が多様化し、あえて狭い範囲で言うなら「おたく文化」が発展したので、三大おたくはアニメ、アイドル、プロレスと言われることもあったと指摘した点である。そこからアイドルおたくの噺に入り、秋葉原のAKB劇場で親子が顔を合わせてしまうオチまで実に愉しく構成されていると思った。
二席目は「みんな京阪」という、上方落語の桂三実さんの作品。朝ドラは基本的に半年交代で東京と大阪で作られるが、よく上方の噺家さんが言うのは、大阪局制作の朝ドラのヒロインが東京出身の女優だった場合、方言指導をされて演じる大阪弁は聞いていられないということ。以前に桂吉弥師匠がマクラでその物真似をして爆笑した覚えがあるが、そんなところを題材にした作品だ。大坂出身で、東京で噺家になった羽光さんにはぴったりの噺だと思った。
うまく大阪弁で喋れないときは、その大阪弁と同じイントネーションの標準語を見つけて、そのイントネーションをイメージして喋ればいいというメソッド。大阪弁の「薬」のイントネーションと同じ標準語は「いぼ痔」、同じく「死んだら嫌」は「レンジでチン」、「半年の命」は「アントニオ猪木」、「どないすんねん」は「ロナウジーニョ」・・・というように。台本の脇に言い換えの言葉を書いて芝居に臨んだら、舞台は滅茶苦茶になってしまって…という噺だ。言葉を切り取るセンスが噺家の命。こういうセンスが原作の三実さんだけでなく、羽光さんにもあったればこそ、爆笑を生んだのだと思う。
三席目は「妄想番頭」。ある商家を舞台にした「ある朝礼」に羽光さんのセンスが光る。旦那、番頭、権助、定吉しかおらず、おなべは買い物に行って暫く帰ってこない、女将さんはまだ寝ている、そういうときにだけ行われる、名付けて「男だけの朝礼」。自分が普段思っていることを一人ずつ口にして、それを同意した皆で唱和するという儀式だ。「駅前でイチャイチャしているカップル見たら、バットで殴りたくなる」「好きな芸能人を言うとき、ドリカムの吉田美和って言えば、性格よさそうに思われる」「付き合いたい芸能人の年齢の上限を言うとき、岩下志麻はOKだ」等々。
「男だけの朝礼」はどんどん妄想が広がるのが、この噺の面白いところ。「地下鉄に乗っているとき、ついつい石原さとみのCMを観てしまう」という定吉は可愛いが、旦那は妄想に入ってしまう。「石原さとみと付き合って、先に私が帰っていたとき、あとから帰ってきた石原さとみが『シャワー浴びてくるから』というのを止めて、化粧を落とす前に膝の上に乗せて、鼻を“ンパンパ”してみたい」。頬づりでもなければ、キッスでもなく、鼻を「ンパンパ」って!最も妄想というに相応しい妄想だ!こういうユーモアセンスがある羽光さんが好きだ。