【続々・あのときの高座】①立川志の輔「しかばねの行方」(2010年7月5日)

きょうから5日間、過去に聴いて印象に残っている高座をピックアップし、プレイバックします。きょうは2010年7月5日@ル テアトル銀座「立川志の輔 ビギン・ザ・ビギン」の「しかばねの行方」です。以下、当時の日記から。

平日を含む6日間連続で、午後3時に銀座で独演会という志の輔師匠の企みは、どこにあるのだろう?「ビギン・ザ・ビギン」というタイトルにも惹かれて、有給休暇を取得して行ってみた。これまで渋谷のパルコ劇場や下北沢の本多劇場でおこなわれた「志の輔らくご」で口演された懐かしい演目の蔵出しというか、リニューアル3席。「こぶとり爺さん」は、まだパルコ公演が正月一ヶ月というスタイルではなく、年末の12月に5日間ほどしかやっていなかった時代の新作ネタおろし。非常に懐かしかった。東野圭吾の短編小説が原作の「しかばねの行方」も、随分久しぶりに聴いた。そして、「新釈 猫忠」を聴いたのは、本多劇場での公演が、いまや定番となった「牡丹燈籠」を口演する前だから、これまた随分久しぶりだ。その時は文楽を取り込んだ演出が印象に残っている。

そんな蔵出し三席だったが、懐かしいだけではなかった。とても、新鮮だった。「こぶとり爺さん」は、“おとぎ話の教訓”について、面白おかしく笑わせてくれて、こんな新作だったっけ?とかすれた記憶を蘇らせてくれた。「新釈 猫忠」は、文楽こそ出てこないものの、終盤の展開を従来の「猫忠」に、志の輔師匠独自の解釈を加えて、新風を吹き込んでくれた。「しかばねの行方」は、釈台を置いて、講談的な演出が効果的に取り入れられ、まるで映像を見ているかのような口演に仕上がって楽しかった。納得の真昼の落語会だった。

立川志の輔「しかばねの行方」
6軒の建売住宅の前の私道に、人が横たわっている。「ちょっと!起きてくださいよ!・・・背中にナイフも刺さっていますよ!」。パニック状態に陥り、意味不明な日本語を口走り、慌てる住人ハザマさん。東京近郊の新興住宅地。「会長さんに連絡を!出勤前に朝早くに何ということ!」。会長が駆け付ける。「死んでるな」「早く警察に!」。会長は町会議員に立候補したときの白い手袋をはめながら、冷静に言う。「コレ、自殺じゃないかな?魚屋かな?でも、スーツに長靴はおかしいな。知り合いじゃないの?」「死体に知り合いなんか、いませんよ!早く警察に連絡を!」「警察が来る。会社に遅刻する。新聞社が来る。取材される。記事に載る。テレビのワイドショーのレポーターが来る。『謎のナイフ死体、新興住宅地に!』。下がるだろう?」「血糖値?」。

「ここの土地の値段だよ。3600~3400万した」「うちは3000万で買いましたよ」「角のイシイさん、引っ越したろう。売りに出している。2400万で。何のために買いましたか?」「ここで一生、暮そうと」「地下鉄が繋がって、便利になるという話だった。それが、避けた。緑豊かで、閑静で、ただそれだけの田舎の一戸建て。ここに生涯住み続ける、ローンを払い続ける。警察に連絡すべきではないのでは?」と、冷静な会長。「ハザマさん、何でここに倒れているのか?地下鉄が繋がって、グングン値が上がっている黒ヶ丘シティタウンで倒れればいいんじゃないか?冗談はわかっている。ただ、問題はどうやって運ぶかだ。ヨシイさん、カローラのトランクに載るかな?」。本気の会長である。

「死体遺棄?心配する必要はない。昨日、風、強かったよな?ハザマさん、考え方を少し大きくしよう。新しいタイプの“おくりびと”。ちょっと動かすだけだよ」。“おくりびと”という発想が可笑しい。「住民投票で決めよう。黒ヶ丘にあった方がいいな、と思う人は挙手を。では、全員一致ということで」。会長は段取りよく指示を出す。「エンドウさん、ピンクの毛布を出して。そして、イシイさんの家の庭に置いて」。そして、夜に会長の家に全員集合することになった。

夜11時55分。カローラ1600は、死体を載せて黒ヶ丘へ。そして、公園のイチョウの木の下に置いてきた。翌朝、目覚める。朝刊を読む。会社へ行く。夕方、会長宅に集合する。「ニュースでやっていました?」「どこもやっていない」「新聞も?」「載っていない」「黒ヶ丘に住む課長が、車の故障で遅れてきました」「おかしいな。丸一日になろうとしているのに、仏様が発見されない。警察に連絡していないのか?」。すると、「角のイシイさんの家の庭にあった!」「どうして、ここにあったとわかったんだ!?」「自分のところにあったものを返しに来る。どういう神経をしているんだ!」「目には目をだ!」「ヨシイさん、カローラを出してもらえます?他は皆、軽自動車なんだよ」。

「死体を運んだら、警察に連絡しましょう」「そうしたら、パトカーが向かう」「妙案だ!」。ヨシイのカローラは会長と4人の男を乗せて、走りだした。運転席はヨシイ、助手席は会長、後部座席にハザマ、サエキ、エンドウ。「5人乗っていると重い!」「もう一人、トランクに載っているからな」。「パチンコ屋の2階のオシドリ不動産は、地下鉄が繋がらないのを知っていて、家を売り付けたんだ!」「俺たちは日本の物価を正常に戻す戦士だ!」。盛り上がる5人。「警察に電話をしなくては!」「あぁ、104かけちゃった。110番だった。殺人事件です。黒ヶ丘シティタウンの公園のイチョウの木の脇のベンチ。ピンクの毛布にくるまっています。結婚式のお祝い返しです。よろしくどうぞ!」。

公園の入口に到着。抜き足、差し足、忍び足で、死体をベンチの下に置いて戻って来た。ヘッドライトを点ける。アクセルを踏む。「よし!やったね!」。カローラがステップを踏んでいる。パトカーもやって来た。運転席のヨシイがふと、隣を走る車を見ると黒のベンツ。助手席の男がラウドスピーカーで叫んでいる。「自分のところにあるものを、人のところに持ってくるんじゃなーい!」。寄ってくるベンツには敵わない。身を乗り出す。さながら、ハリウッド映画のカーチェイスだ。ダダダダーッ!「銃?」「携帯で口で撃ってみました」(笑)。

パトカー!カローラ!ベンツ!「停まりなさい!」「わかりませんが、やるだけやってみます!」。アクセルを踏んだ。「さぁ、このとき、後部座席の真ん中にいたのは誰でしょう?」と、志の輔師匠が客席の最前列の客を指名して、答えさせるのが楽しい。「サエキさんです!」。ご名答!そのサエキさんが後ろを振り返る。一難去って、また一難。踏切の遮断機が閉まっている。「諦めましょう」「諦めます」と言って、ヨシイはアクセルを踏んだ。カローラは縦揺れをして、踏切を通過。そして、寝台特急「やすらぎ」が通過。「こんなことって、あるんですね」「ハザマさん、人間、やってやれないことはないんですよ」。

しかし、この後、信じられないことが起きる。特急の上をベンツが飛び越えてきた!3Dで!映像がフラッシュバックする。ベンツから見たカローラの屋根、ホチキスのように2台の車が重なり合う。スローモーションだ。あまりの衝撃に音もしなかった。

舞台は病院。「皆、無事だったんですね。ハザマさん以外はね」「炎が上がったそうです」。会長が言う。「一連の行動はハザマさんの指示だったことにしましょう」。そこに、警察がやって来る。ハザマさんは生きていた。ドアを開けて、一番最初に外に出たのだ。警察が言う。「犯人は確保しました。安心してください。犯行現場は黒ヶ丘シティタウンです。マンションの値が下がるのをおそれて、仏様を移動したようです。死体遺棄です。絞れば間違いなくネをあげるでしょう」「ネが上がる?だったら、私たちも絞ってください」で、サゲ。

東野圭吾がまだ脚光を浴びる前に、短編集「怪笑小説」を師匠が読んで、新作落語にしたいとお願いしたそうだ。どこまで落語的脚色が施されているのか、わからないが、馬鹿馬鹿しい展開の中にハラハラドキドキするようなスリルのある場面が挿入され、それをまた釈台を使って講談調に描く演出が効果的だった。いつまでも挑戦的な試みを忘れずに、“志の輔らくご”の可能性を模索する師匠の高座姿に感服するばかりである。