三遊亭萬橘「子は鎹」お父っつぁんが両手を頬っぺにあて、変な顔をしたときの亀ちゃんの笑い声が忘れられない
ミュージックテイト西新宿店で「萬橘を満喫できる会」を観ました。(2021・01・20)
三遊亭萬橘師匠の「子は鎹」はサラリと演じながらも、独自のこだわりのある素敵な高座であった。噺を肚に入れ、咀嚼し、無駄なモノを捨て、新たなモノを加え、自分の落語を創っている萬橘師匠の姿勢にいつも感嘆する。
大概は茶室を作ってくれと催促する旦那の命を受けて番頭さんが大工の熊さんのところを訪ねるが、ここから違う。隠居が離れに茶室を作りたいと言い出したので、熊さんが現場を見に来たところ。その足で番頭さんと一緒に木場に木口を見に行く。そのときの番頭さんの台詞がいい。「茶室と母屋は夫婦みたいなもの。茶室だけポツンとあっても寂しい。どっかへ行った母屋はどうした?」。皮肉まじりではありながらも、熊さんのこの先を案じる愛がある。
この後、熊さんが両手を頬っぺにあて、変な顔をする「変顔」がポイントになる。「あの頃はずっと酔っ払っていたようなもので、ようやく夢から醒めました」として、別れた当時7歳だった亀ちゃんの笑い声を思い出すという。それは、父親である熊さんが「変顔」をしたときの亀ちゃんの笑い声だ。番頭さんもその話を聞き、酒をぷっつりとやめた熊さんに報われてもらいたいと思う。
木場に向かう途中で、子供三人を見つけ、その中に亀ちゃんがいる。熊さんが声をかけると、一瞬だけ亀ちゃんは「本当にお父っつぁん?赤い顔してないし、汚い格好もしていない」と疑う。そこでつかさず、熊さんは頬っぺの両手をあて、「変顔」をしてみせる。「あ!お父っつぁんだ!」。嬉しそうな顔をするのがいい。
おっかさんは再婚せず、亀ちゃんと母子二人暮らしだという。「洗濯物の中に必ず褌を一本入れるんだよ。悪い虫が付かないまじないなんだって」。熊さんが亀ちゃんに対し、「お父っつぁんの代わりに、おっかさんを守ってくれよ」と言うと、「おっかさんはいつも『自分でやることは自分でやらなきゃ駄目だよ』と言うんだ。お父っつぁんも、自分でやることは自分でやらなきゃ駄目だよ」。子どもにこう言われちゃ、かなわない。父親としては完敗だ。
おっかさんのエピソードもいい。貧乏だから働きづめ。三日夜なべを続けたら。おっちょこちょいで朝ごはんを三人前作っちゃった。それで、「お父っつぁんがもしいたら、笑うんだろうね」。感極まった熊さん。「お父っつぁんを許してくれるか?」に対し、亀ちゃんは「喧嘩しないか?」。酔って夫婦喧嘩ばかりしていた熊さんだが、いまはその自信がある。だが、「すぐ近くだから、おうちにおいでよ」と亀ちゃんが言うと、「胸張って行かれるようになるまで行かれない」。純朴に「いつ?」と問い返す亀ちゃんが可愛い。
ここで会ったことも、50銭貰ったことも、鰻屋でご馳走してもらう約束をしたことも、全部、おっかさんに内緒だと男と男の約束をしたが、家に帰って50銭を落としてしまい、母親が「誰にもらったのか」問い詰めると、最初は「変なおじさんにもらった」と誤魔化していた亀ちゃん。だが、我慢できなくなり、頬っぺに両手をあて、「変顔」をし、「お父っつぁんにもらったんだね!」。どこからか盗んできたのではないかと厳しく責める母親から一転、温かい母子関係に戻るのは、この「変顔」がキーだ。ここに玄能は存在しない。
翌日の鰻屋に母親が追いかけてくると、熊さんは「お前、約束を破ったな」とまんざらでもないような表情で怒るが、むしろ嬉しそう。「バカ正直から正直を抜いたような奴だな」「しょうがないだろう、お父っつぁんの子だもの」というやりとりは実に微笑ましい。
別れた夫婦の対面。熊さんは「(棟梁になって)人を使うようになり、その家族のことを考えると悩んじゃってな。それで酒に逃げたんだ」と当時を懺悔する。それに対し、元女房は「そんな気持ちでお酒を飲んでいたなんて、考えも及ばなかった。こちらこそ、ごめんなさい」と謝る。「俺が悪い」「私が悪い」とお互いにかばい合いをする元夫婦に、萬橘師匠の美学をみた。玄能が出てこなかったけれど、サゲはどうなったか。それについてはあえて伏せます。高座に巡り合ったときのお楽しみということで。