【令和の小三治】「歳を取るのが楽しみ。話術ではなく、感性を磨くこと。それが生きるということ」

ソニーミュージックから発売されたCD「令和の小三治1」を聴きました。

このCDには2019年10月3日に開催された「CD発売記念 柳家小三治の会」での京須偕充プロデューサーとの対談と、10月19日に開催された朝日名人会の「厩火事」の口演が収録されている。

「厩火事」は2種類の旧録音を持つ三席目のCD収録だそうだ。ライナーノーツによれば、小三治師匠が高座から下りて来るなり「私としては、とても良かった」と自賛ともとれる出来栄えで、京須さんから見ても「鋭くはないが深く、しかも構えの大きな口演」で「いつもと同じように演じているようでいて至るところにちがいがあった」。是非、お買い求めて確かめていただきたい。

その高座とともに収録された対談、これが僕には実に興味深かったので、そのことを僕なりの感想文として書いてみたい。

小三治師匠と京須プロデューサーの関係が実に良いのが手に取るように伝わってきた。初めて小三治師匠の仕事をしてレコードを出したのは1983年だそうだが、出会いは10年前に遡るそうだ。オーディオ仲間として仲良くなったという。偶然、生之助師匠(09年没、三遊亭圓生の弟子)の会で一緒になり、銀座一丁目のビアホールでご一緒したのがはじまりとか。アメリカのJBLが出したスピーカー、LE8Tが名器で、生之助師匠含め、お三人とも愛用していたことなどで意気投合したそう。ターンテーブルのラバーは鹿の皮がいいとか、そういうオーディオファンのマニアックな話題で盛り上がったというのが何とも素敵ではないか。

京須さんが小三治師匠とお仕事するまでに10年かかったというのは、一つは当時、京須さんが「円生百席」の制作にかかりきりなっていたということと、もう一つはキングレコードからLPが出たばかりで、ほとぼりが冷めるまで遠慮していたということに起因している。言うまでもないが、「円生百席」は素晴らしいお仕事で、僕のような落語ファンにとっても、またプロの噺家さんにとっても教科書のような録音で、偉業と言っていいと思う。それを小三治師匠も「圓生師匠とガッツリ四つに組んで、いい仕事をなさった」と称賛していた。

小三治師匠は噺家になるまでは、志ん生、文楽よりも圓生師匠こそ名人だと思っていたという。京須さんは圓生師匠が亡くなる少し前に志ん朝師匠と、亡くなってから小三治師匠と仕事をするようになったが、生前、圓生師匠は「志ん朝なら、よろしゅうござんす。あとは小三治」と言っていたと言う。パンダのランランが死んだ日に、圓生師匠が亡くなった。そのときの報道は小学生だった僕も覚えている。

桂文楽の芸を「今の若い人には古臭く聞こえるのかもしれませんね」と京須さんが言うと、小三治師匠はつかさず、「それは芸がわからないということだ。私もフッとエアポケットに入ったみたいに突然、『すごいな、この人は』と思うようになった」と。この頃は多弁でお喋りな噺家が多いということなのだろう。「寡黙なのがいい。余計なことはいらない。棒読みでいい。そこに情景が見えてくれば」と言う。小三治師匠のこの言葉を聞き、恥ずかしくなった。

僕自身も若い噺家さんを聴いて「この古典をこんな風に工夫した」とか、「こんなアレンジをして楽しませてくれた」と新鮮さを喜んでいる節があるからだ。小三治師匠は「その奥に何が見えてくるか。この噺は何を言おうとしているのか。それが大事なんだ。時代が変わったんですかね」とおっしゃった。いえいえ、小三治師匠の現在の高座を拝聴すると、言わんとしていることがよくわかるし、納得できるのです。上っ面を面白くするのではなく、芯から面白い高座こそ、良い高座なのだと思います。

「枯れた芸」についての芸談も興味深かった。先代小さんは枯れた味わいを見せてくれた。一方、圓生さんは演劇的、ドラマ的な落語を目指して、枯れることに抵抗していた。京須さんは80年代の小三治師匠の鈴本での独演会を収録していて、「この人は枯れるんだろうか?」と思ったという。志ん朝師匠はもし長生きしていたら、枯れただろうか?枯れなかったんじゃないか。「枯れる要素を見せないまま」あの世に逝ってしまったと。

小三治師匠は歳を取っていくのが楽しみだという。「こうなりたい、というのはない」が、噺や芸に対するその時の感じ方がどう変化していくかは楽しみなんだと。感性を磨き上げるのであって、話術を磨くのではない、それが生きるということなんだと。だから、芸歴何十年記念とか、そういうのはやりたくない。何年経っても「今年の俺」なんだと。深い。実に深い。僕なんか56歳で、まだまだ若輩ものなので、毎日毎日、自分らしさを探り探りしながら生きていくことが大事なんだなと教えてくれたような気がします。

京須さんはこうも言った。「落語は作為性のある芸。その作為性を感じさせない、自然性を感じさせる、それが名人ではないか。技術がすごいとか、そういうことではない」と。そして、(小三治師匠が)この先、どういう風になるか、楽しみのような、こわいような、と。

小三治師匠も「これ(今の自分)でいいわけがない。今日より明日。明日より明後日。100歳になっても(落語を)やりたいと思う。声量は落ちるだろうし、何を言っているかわからないかもしれないけれど。そのときに何を感じ、どう生きているかを皆さんに感じてもらいたい」と。

どこまで行っても際限のない、落語の奥深さを教えてくれたような素敵なお二人の対談に涙が出るようだった。