柳家小三治「長短」 落語ができる幸せに感謝をこめた高座。落語が聴ける幸せに感謝する高座。
東京芸術劇場プレイハウスで「柳家小三治独演会」を観ました。(2020・12・07)
小三治師匠はコロナ自粛期間が明けてからの独演会で必ずやるようになったことがある。落語を終えて拍手をもらったら、幕を閉めるのではなく、もう一度、客席に呼びかける。「コロナで大変な人達が大勢います。特に医療機関に従事する方々。大変だと思います。何もして差し上げられませんが、ここで大きな拍手を送っていただけないでしょうか」。より大きな拍手が起きて、幕を閉じる。
僕らも小三治師匠の高座だけでなく、さまざまな噺家さんの高座に出逢う度に、感謝の気持ちをコロナ禍以前よりも強く持つようになった。赤字を覚悟で落語会を主催してくれるプロモーターの方々。感染拡大防止のために色々な配慮や対策を講じて、演芸ファンに演芸を届けようとしている。それは主催者だけでなく、もちろん出演する芸人さん、会場管理者、その他様々な方々のご尽力にただただ感謝するばかりである。
同時に、小三治師匠は高座に上がれることの喜びを噛みしめ、感謝の気持ちでいっぱいであるとおっしゃっていた。こうやって、わざわざお越しいただくお客様に以前にもまして感謝するようになったと。僕の眼には師匠が涙をうっすらと浮かべてしゃべっているように見えた。お互いに感謝しあう気持ちというのは、素晴らしいことではないか。
二席目のマクラで四谷第一中学校のクラス会がまだ続いていることを話した。毎年4月が恒例だったが、今年はさすがに開催できなかった。ほかの人からは珍しいですね、と言われると。今月17日で81歳の誕生日を迎える師匠の年代で20人ほどの同級生が毎年集まるというのは珍しい。
昔は嫌な奴だな、と思っていた奴でも、長い年月経つと、会ってみたいなあ、あいつはどうしているかなあと気になるもんです、と言って、「長短」へ入った。
長さんが実に愛くるしい。今朝、雨が降ったことを昨夜に小便に起きたときのことから話す長さんに、苛々する短七さんだが、けして長さんのことが嫌いではない。いや、むしろ好きである。だから、「ガキの時分から友達で、いまだに付き合っている」わけだ。
餅菓子を半分に割って、どちらから先に食べようか悩む長さん。口の中でもぞもぞと咀嚼をする長さん。もう、見てられなくて、「こっちへよこせ!」と短七さんは言って、口に放りこみ、アッという間に呑み込んでしまう。「こうやって食べるんだよ!」と言いながらも、どこか長さんが憎めないのが顔全体に滲み出ている。
煙草の火がなかなか点かない長さんに、「口からお迎えにいくんだ!」と手本を示し、一つの煙草で何服も吸う長さんに「一服吸ったら、すぐはたくんだよ」と教えてやる。「俺なんか、一服吸う前にはたいちゃうこともある」というフレーズは昔から好きだ。
気性が合うから仲が良いというのではないのだねえ。気性が違うから、お互いを好きになってしまうということなのかもしれないと、この噺は教えてくれる。という理屈よりも、長いことずーっと友達でいる長さんと短七さんの間柄はいいなあと思う。ファンタジーみたいだ。とかくギスギスしがちな世の中だけど、なーんか仲の良い二人のやりとりを見ていると癒される。そんな風にのーんびり、過ごせたらいいなあ。