笑福亭鶴瓶「らくだ」 六代目松鶴の十八番の精神を受け継ぐ。愛情溢れる温かい高座に涙が滲んだ。

赤坂ACTシアターで「笑福亭鶴瓶落語会」を観ました。(2020・12・06)

鶴瓶師匠の落語は温かい。一席目の「かんしゃく」は師匠である六代目松鶴の思い出をデフォルメした逸品だ。上方落語四天王の中でも逸話が多い松鶴師匠だが、この人もまた温かい人だったんだなあと思う。怒鳴り散らしながらも、その底辺に温かい愛情がこもっている。パワハラ、モラハラととかく喧しい世の中だが、どんなに怒鳴り散らしても、そこに愛情があればいいのではないかと思う。

二席目に「らくだ」を演った。六代目松鶴の十八番である。米朝師匠さえも、松鶴存命中はリスペクトゆえに高座にかけることはなかったという。その「らくだ」を弟子である鶴瓶が取り組みはじめたのは、もう十数年前になるだろうか。「かんしゃく」も温かかったが、「らくだ」も底辺に愛があった。

らくだの兄貴分は、弥猛の熊である。香典出さないと、ドスを持って長屋に挨拶に行き、火を点けて廻るという強者だ。だから、長屋の月番も大家も漬物屋も最終的には「死ねば仏」と思って、香典やら酒やら煮しめやらを出している。それくらい恐いのである。家主は死人のカンカンノウ踊りと聞いて、「初物を見ると75日寿命が延びる」と馬鹿にしていたが、ホンモノの死人が踊っているのを見ての慌てふためきようといったらなかった。

紙屑屋の台詞、「生きてても、死んでても、迷惑かける人だ、らくだという人は」というのも印象的だった。熊と一緒に家主のところに死人を担いでいくときの台詞である。熊は「もっとじっくり踊らせ」と言った。紙屑屋も「カンカンノウはよく効くな」と言った。

一仕事終えてからの「清めの酒」を紙屑屋は最初断ったが、一杯目と二杯目を無我夢中で一気飲みしてしまうと、あとはガラッと居座る覚悟に変わる。熊の「悪いことしたな」の台詞で、紙屑屋は「悪いという自覚があるんだな。友達のために金がないのにこれだけできるのは偉い」と褒めた。「お近づきの印に」と熊に酌をした。それ以後は、熊に酌をさせる。主導権が紙屑屋に完全に移った。

自分の苦労話をする。元々は紙屋の旦那だった。博奕と酒ばかりやって、貧乏になって、嫁が胸を患って死んでしまった。娘一人残して。今の嫁は貧乏慣れしているから大丈夫だ。娘は新しい嫁に気遣い、嫁も血の血の繋がっていない娘に気遣い、よそよそしかった。それが、ようやく、「おかあちゃん」と呼べるようになった…。

この話を聞いた熊は肩を震わせて泣いている。「親方、情ありますなあ」。その次の言葉に唖然とする。「この話、全部嘘や。こうやって、人を泣かすの大好きなんや」。えー!

熊に近所に剃刀を借りに行かせ、香典で追加の酒を買いに行かせる紙屑屋。「人間って、悲しいのう。嫌われて死んでいくのは寂しいのう」と言いながらも、棺桶を担いでからは「葬礼やぁ、葬礼やぁ、らくだの葬礼やぁ、めでたいこっちゃ!」と謳い調子で火葬場まで行く。

日本橋北詰でらくだの死骸を落とし、願人坊主を拾って火葬するまでは普通の「らくだ」とさして変わらない展開だが、その後に鶴瓶師匠独自の工夫があって、サゲとなる。これについては、まだ聴いたことがない人のために伏せておきましょう。

自ら「笑福亭のらくだ」と言っていたことからも、六代目が十八番としたネタを大切にしたいということが現れていたが、師匠・松鶴の「らくだ」を下敷きにまた新しい鶴瓶の「らくだ」を創る努力を怠らない姿にしびれる。今年5月に亡くなった弟弟子の鶴志に捧げる気持ちもあったのだろうか。愛を感じる「らくだ」であった。