【カラやぶりの会】初舞台を踏んだばかりの浪曲師・玉川奈みほ、曲師・沢村まみの成長を見守っていきたい。

東田端ふれあい館で「カラやぶりの会」を観ました。(2020・10・16)

去年3月に入門した、ほぼ同期といえる二人の勉強会である。玉川奈みほ、奈々福門下の浪曲師。沢村まみ、豊子門下の曲師。奈みほは、浪曲ガチンコ講座に通うなど、2017年くらいから奈々福さんを追いかけ、入門を志願して見習いを続けていたそうだが、19年3月1日に正式入門。まみは豊子師匠の三味線に惚れ日本浪曲協会を通じて紹介され、奈みほの「2週間後くらい」に入門したそうだ。コロナで休席していた木馬亭が再開した今年6月に、二人は初舞台を踏んだ。僕もその高座は観に行った。記念すべき第一歩であり、ここからスタートだと本人たちも述べている。

その二人が勉強会をスタートさせた。浪曲師には曲師がいなくてはならないし、逆に曲師には浪曲師がいなければならない。コーチ役を買って出たのは、奈々福さんだ。奈みほのときには曲師を務め、まみのときには浪曲師を務める。曲師で入門し、浪曲師に転向した奈々福さんだからこそできる役割だ。その代わり、指導も厳しい、この日の勉強会の前日も、三人は集まって猛特訓をしたそうだ。たとえ勉強会といえど、お客様にみっともない芸は見せられないという考えからだ。

「鹿島の棒祭り」浪曲師:玉川奈みほ 曲師:玉川奈々福

「小田原の猫餅」浪曲師:玉川奈々福 曲師:沢村まみ

奈々福さんは言った。国友忠先生と沢村豊子師匠が築き上げたものを、私は受け継いだ、それを今度は奈みほとまみに引き継いでいかなくてはいけない。まだまだ私自身が修行の身ではあるが、後進の指導も自分にもう課せられた使命だと思って、両輪でやっていかねばならない、と。二人にまず伝えたいことは「自分の市場を作りなさい。ついてきてくれるお客様に魅力を発信していきなさい」ということだと。

以下は奈々福さんからのアドバイスだ。

奈みほは度胸が足りない。ときどき記憶が飛ぶ、というが、良い三味線で演り慣れているからだ。どの三味線でもうなれるようにしなくてはいけない。前日は下手すぎてお客様にお見せできるか不安だった。声が吹っ切れるときがあるが、そこで音を下げてはいけない。声と腹とを連携させなさい。腹を沈めると声が出る。出ない声を絞り出す。玉川の家の芸は「男の芸」だ。そこはしっかりと甘えずにやらなくちゃいけない。

まみは稽古はほぼ舞台と思ってやりなさい。豊子&奈々福のテープを100回以上聴いたそうだが、やはり本番で奈々福の横顔を見て呼吸を拾うことが何よりも大切で、その呼吸に間に合っていない。豊子師匠は手に脳みそがあるかの如く、手が細かい。これは「関西バラシ」が入るからだが、まずは必要な音だけをきちんと弾くことが肝要。

まさに高座百遍。まみさんは、姉弟子のさくらさんから初舞台のときに手紙をもらったそうだ。「病みつきになりますよ」。まだまだ彼女たちの修行ははじまったばかりだ。お客様の前での演奏はしばらくは木馬亭定席が中心になるだろうが、熱望して、憧れて入った世界。楽しんで稽古に励むのが何よりである。

奈みほさんの「鹿島の棒祭り」は、木馬亭の開口一番では時間の制約のために、飯岡の子分三人組が入店し、平手造酒の盃に埃が落ちるところまでしか聴けなかったので、今回、しっかり通しで聴けたのは嬉しかった。国友忠先生の大事な財産だった「小田原の猫餅」を、まみさんの糸で聴けるとは思わなかった。これが、木戸銭をちゃんと払った舞台で聴けるまで何年かかるかわからないが、僕はその日が来るのをとても楽しみにしている。