三遊亭萬橘「ぼんぼん唄」 掘り起こしネタでも、噺の再構築の技量を発揮。素敵な人情噺の仕上がり。

ミュージックテイト西新宿店で「萬橘を満喫できる会」を観ました。(2020・09・29)

三遊亭萬橘師匠の高座で、ときどき、「え!珍しい!面白い噺だねえ」という場面に出くわすことがたまにある。今回の「ぼんぼん唄」もそうだが、2015年に聴いた「左甚五郎 江戸の巻」は全く聴いたことがなかったので、師匠にお尋ねしたら、「浪曲を落語化した」ということであった。「鉄拐」は談志師匠~志らく師匠でしか聴いたことがなかったし、「次の御用日」は上方ネタであることが後からわかった。

「ぼんぼん唄」は古今亭志ん生師匠のCDで聴き直したが、志ん生師匠独特の間とフラで笑わせながら最後にホロリと人情噺にまとめていた。萬橘師匠も同様で、萬橘テイストの味わいと独自の演出・構成の創意工夫が加わり、人情噺の情感がしっかりと余韻として残る高座だった。

三遊亭萬橘「ぼんぼん唄」

八丁堀に住む背負い小間物屋の吉兵衛さん夫婦は子供に恵まれない。子宝というくらいだから、是非授かりたいと夫婦で願い、浅草観音様に三七二十一日の願掛けをする。と、満願の日、万年橋のたもとで人だかりができている。迷子の女の子だ。わーんわーんと泣いていた女の子は、吉兵衛さんが抱っこするとなつき、泣き止む。思わず、吉兵衛さんは「町内の子です」と嘘をついて、引き取り、家路についた。

女房は「満願のご利益」だと喜び、「うちの子」にしようと提案する。「私がウトウトと居眠りをしていたら、夢か現かわからないけど、女の子を産んだよ」。妄想を言って、神様が授けてくれたことに夫婦で決めた。近所の熊さんが不思議に思って尋ねると、「養子をもらったんだ」。拾った子なので、「おひろ」と名付け、大切に可愛がった。

翌年のお盆。近所のたみちゃんとよっちゃんが来て、炒り玉子を食べてから、「ぼんぼん唄」を歌う。♪ぼんぼん、ぼんの十六日~、江戸一番の踊りは八丁堀~。最後の地名は自分たちの住んでいる土地を歌うのが習わしだ。ところが、おひろは「八丁堀」のところを「相生町」と歌った。ビックリする、吉兵衛さん。そうか!この子は相生町に住む家の子なんだ。

可愛い一心で止める女房を振り切って、吉兵衛さんは「本当の親の気持ちを考えたら、会わせてやらないと」と、おっとり刀で相生町へ。去年迷子があった家はないか?と尋ね回ると、伊勢屋という材木問屋に行き当たる。この子は「きぬ」という名前で、去年、浅草へお参りに行った帰り道で喧嘩のごたごたに巻き込まれ、迷子になり、それきりだという。感謝する伊勢屋主人。「ありがたい。生きていたんですね」。きぬは元の鞘に収まることになる。

志ん生師匠の録音では、相生町に迷子がないかを探すのに、人が多く集まる床屋に行くのだが、そこで将棋を指している描写を「浮世床」同様にやっていて、いかにも将棋好きの志ん生師匠らしいと思った。

萬橘師匠は噺の冒頭で、吉兵衛さんが商いから帰ってきたときに、女房に「きょう、お店のお嬢様用の簪を売ったんだけど、蝶々の飾りと花の飾りのどちらにするか迷って、結局両方買い求めたよ」というのがあって、それがサゲに繋がる工夫をしている。そのサゲについては、あえて伏せておきます。

よくかかかるネタでも再構築して新鮮な噺にする技量のある萬橘師匠だが、こういう掘り起こしものでも、その手腕をいかんなく発揮する。目が離せない。