玉川奈々福「空手バカ!アラブ風雲録」 現代の知られざる人物の功績を世に知らしめる。創作浪曲の可能性は無限大。
紀尾井小ホールで「玉川奈々福 喬太郎アニさんをうならせたい」を観ました。(2020・09・24)
奈々福さんの喬太郎ファンぶりは、僕たち落語ファンのそれと同様、いや、それ以上に猛烈なものだ。今年7月に出版された「喬太郎のいる場所」は、去年11月に30公演おこなわれた「ザ・きょんスズ30」での喬太郎師匠をカメラマンの橘蓮二さんが撮影した写真集だが、ここには蓮二さんと喬太郎師匠を愛する4人(春風亭昇太、玉川奈々福、三遊亭兼好、神田鯉栄)との対談が掲載されているのだが、その中でも一番ラブラブ光線が炸裂しているのが、奈々福さんなのである。
で、この「喬太郎アニさんをうならせたい」シリーズは2016年9月にスタートして今回、6回目を迎えた。喬太郎師匠を自身の芸でうならせたいと、毎回、「アニさんをうならせたい」と体当たりで挑んでいるのが、新作浪曲のネタおろしだ。以下、5回分を列記する。
#1祖師ヶ谷大蔵のカネゴン餅(2016・9・23)
#2池袋の鬼夫婦 うるとら風味(2017・6・30)
#3浪曲版 熱海殺人事件(2018・3・15)
#4今年の味噌が出来た日に(2018・12・12)
#5赤穂義士外伝 噂話屋の婆のはなし(2020・1・31)
プログラムにも主催の「らくご@座」さんがこう書いている。
#1・2は浪曲持ちネタ「小田原の猫餅」「仙台の鬼夫婦」のウルトラ化。#3は喬太郎兄サンのみならず奈々福アネゴも敬愛する、つかこうへいの名作を果敢に浪曲化。#4は喬太郎新作ネタ「ハンバーグができるまで」の世界観を引き継ぎ女性目線のアナザーストーリーを展開。アニさんごのみ、アニさんワールドに寄せがちな創作傾向に対し、アニさんからは「オレから離れろ」とのお達しもあり、キョータローディスタンスを意識意識。#5では古典に回帰、したたかな老婆が主役となる独自の義士外伝を切り拓きました。以上、抜粋。
で、今回も大好きな喬太郎師匠を離れ、空手指導家・岡本秀樹の生涯を描いたノンフィクション作品、小倉孝保著「ロレンスになれなかった男」(角川書店)を原作に、岡本秀樹一代記というべき長編浪曲の序開きをネタおろししてくれた。喬太郎師匠云々ではなく、実に興味深い内容で、新作浪曲を作り上げたという意義深い高座であった。
玉川奈々福「空手バカ!アラブ風雲録」
現在、中東には260万もの空手人口があるという。剣豪・宮本武蔵が生まれた美作国宮本村の隣、豆田村(現・美作市)で岡本秀樹は生まれた。のちに「砂漠の父」と呼ばれ、アラブに空手を普及させることになる男である。1970年5月、シリアのダマスカス。羽織袴姿の28歳の岡本は同じ空手指導員で警視庁から派遣された貞森裕に制されていた。「あの男を殴りたい」。男とは大使館の外交官だった。
太平洋戦争の真っ最中に岡本は生まれた。父の暴力に反撥し、強くなってやる!と中学で柔道、高校で空手を習った。国士舘大学に入学すると、空手部を創設した。日本空手協会の依頼で、青年海外協力隊の空手指導員としてシリアに赴いた。アジアの西の果てだ。映画「アラビアのロレンス」を観て、日本のことを中東に知らしめ、自信と誇りを回復したいと考えた。1970年。まさに日本は高度経済成長期である。日本に熱と希望があった時代だ。
紋付羽織姿の岡本は現地の人に「民族衣装?」と思われながら、シリアの警察学校の指導をすることになった。「道場を見たい」。岩と砂埃のダマスカス。案内された場所はコンクリート打ちっ放しの空間だった。「空手は初めてだ」という。柔道は畳の道場があり、オリンピック競技にもなっている。空手には生徒が来ない。たった3人からはじまった。翌年、ブルースリーブームが起こる前だ。
礼を重んじる空手だが、「礼をするのはアラーにだけだ」という。歯ぎしりした。日本大使館の外交官スズキとは常に対立した。「あいつがいるから外交もダメなんだ!」と言い放った。4カ月経って、帰国の決意をした。酒浸りだった。「スズキが許せない。殴り倒して帰る!」。1970年5月のことだ。外交官居住地域に駐車していた日産のブルーバードを廻し蹴りして、窓ガラスを割った。宿舎に入り、警備員3人を廻し蹴りで倒した。
機動隊が出動する。10数人の隊員を相手に空手が炸裂した。殴った相手は、中空高く飛んだ。高下駄の廻し蹴りは相手の後頭部を直撃した。15歳のときから13年磨いた技を見せよう。東と西が手に手を取り合ってなんて、まやかしだ。カラシニコフの銃口が空中に向けられるが、怖くない。多勢に無勢。機動隊の猛者にパンチを食らわせて仁王立ちの岡本がそこにいた。
外交官スズキは乱闘を聞き、「何をしてくれたんだ!」と激怒した。本来なら逮捕だが、帰国させることで解決しようとした。が、警察学校校長のアマミヤのとりなしで、「これは酒がいけないんだ。君は悪くない。ビールとワインをミックスして飲んだのがいけなかったのだ」と、ボコボコに殴られた機動隊員を目の前にして、岡本を擁護した。
内務省からの報告があった。空手は実戦に使える。帰国せず、空手を教えてくれ。シリアの内務大臣は岡本を「特別に許す」ことにしたのだ。日本大使館に電話が入る。了解をとりつける。①シリア国内で暴れても日本政府のせいではない②帰国する場合は旅費はシリア政府がもつ③日本大使館には迷惑をかけない。これにて、岡本の残留決定!
生徒100人が頭を下げる。稽古の声が道場に響きわたる。岡本と空手の評判が広がる。パレスチナゲリラ。エジプト大使館。指導をお願いしたいと依頼が殺到した。中東・アフリカ地域で、40年間で空手人口が20万に達したという。
原作、小倉孝保著「ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯」(角川書店)の帯にこうある。サダト、ムバラク、フセイン一族―政府中枢に近づき暗躍した空手家がいた。浪曲の魅力は古典の伝承だけではない。こうした、現代の知られざる人物の功績を世に知らしめるような作品をはじめとする創作浪曲と両輪でこれからもブームが盛り上がることを期待したい。