林家正雀「梅若礼三郎」 “義賊”に流れる人間の情にグッとくる。ストーリーテリングとしての落語の醍醐味がここにある。

国立演芸場で「彦六ばなし」を観ました。(2020・09・22)

「梅若礼三郎」という噺は「圓生百席」に収録された音は聴いたことがあったが、ナマの高座は聴いたことがなかった。ネット検索すると、三遊亭圓生の「梅若」ばかり出てくるが、この日に聴いたのは、八代正蔵(のちの彦六)直伝の「梅若」を弟子の林家正雀師匠が演じたものであり、内容や演出も若干異なっている。だが、いずれにしても、ストーリーテリングで聴かせる噺であり、その手腕が問われる。その点、淡々と語りながら、噺の世界へ引き込んでいく正雀師匠の高座に酔いしれた。よいものを聴かせていただいた。

林家正雀「梅若礼三郎」

神田鍋町で小間物を商う利兵衛は慈善家で、それがために他人の請け判をかぶって、店を潰してしまった。背負い小間物に転じたが、風邪をひき、寝込むと腰が抜けてしまった。寝たきりで商売にならない。そこで女房おかのは手内職をし、夜は神田明神様にお百度参り。その帰り道の柳原で一文、二文、馬喰町からの通行人の袖にすがって金をねだって貰っていた。

2月、筑波おろしが吹き、雪もちらちく寒い晩、誰も通らないので諦めていた。そこへ宗十郎頭巾をかぶり、朱鞘の大小を挟んだ立派な身なりのお武家様風の男が通る。「お願いです。長々亭主に患われ、難渋をしております」とすがると、気の毒に思ったのか懐から包みを渡してくれた。「風邪をひくぞ」と言い残した男は、目元スッキリ鼻筋の通ったいい男で、♪花咲かば 告げんいひし山里の~(謡曲「鞍馬天狗」)と唄って去っていった。包みの中には小粒で3両2分と何某が入っていた。紙に包み、仏壇にしまった。

隣に住むのは魚屋栄吉。魚売りとは名ばかりの博奕打ち。きょうもスッテンテンになって帰ってきた。猫がくるが、やる餌もない。「どこへ行って、小判でもくわえて来い!」。と、隣からチャリンチャリンと金勘定の音が聞こえる。長屋の壁穴からこれを見て、「旦那があるな・・・仏壇の鈴の中か」。寝静まったところを見計らって、「黙って借りよう」と仏壇から3両2分を盗み出した。質屋でドテラを請けだして浅草で雪駄を買い、馴染みの吉原の店に入った。

花魁夕顔と派手に遊ぶ。若い衆にも祝儀を切る。気前よく「宵勘」にする。旦那は喜んだが、「普段は塩煎餅に番茶のしみったれの客が一分の祝儀とは怪しい」と金を検めると、丸に三の刻印があり、押し込み強盗で盗んだ金であることが判る。早速、坂本の勘兵衛親分に注進。「店から縄付きを出したくない、暖簾に係る」と、夕顔を呼び、翌朝のお縄の段取りを言い含める。

そんなことなど知らない栄吉。翌日も「昼遊びで居続け」だと言う栄吉に、「昼遊びなどつまらない。いずれは夫婦になる仲、派手な金遣いは心配だ」と夕顔が説得し、店を出したところで、合図を送る。見返り柳を過ぎて、大門のところで「御用だ!」。栄吉は坂本の番小屋で事情聴取を受ける。「3両2分、どこで盗んだ?」「隣の小間物屋で」。勘兵衛は「3年腰の抜けた病人というのは怪しい」と思いながらも、鍋町の利兵衛の住む長屋へ。「神妙にしろ!3両2分、どこで盗んだ!」。

女房のおかのは「戴いたもの」と答えると、この金は先月20日に芝で押し込みがあり、盗まれた700両の金である、丸に三の刻印がしてあるのが何よりの証拠だと勘兵衛は説明する。「恵んでくれた男の人相を言え」と迫る。しかし、おかのは「情をかけてくれた方に、恩を仇で返すことはできない」と、「夜のことで歳も人相も良く分かりません」。結局、おかのは自身番預かりの身になってしまった。長屋連中が心配して、神仏にすがるより他ないからと、利兵衛夫婦のために、両国垢離場に出掛ける。
垢離場で褌一本になり、身体を清める長屋連中。手桶を持つ手が震える。念仏を唱える。サンゲー、サンゲー、ロッコンシュウジョウ、大天狗、小天狗~。身体の芯まで冷え切ってしまった。呑める人は居酒屋へ、呑めない人は汁粉屋へ。

居酒屋は天竺屋という店。刺身も美味いし、酒も美味い。「正直の頭に神宿る」と言うが、宿らないねぇ、と愚痴がはじまる。隣の客がその話を聞かせてほしいと言うので、「聞きたければ、一杯出しな」と言い、一通りの話を言って聞かせていた。

すると、さらに向こう親方がその話を訊きたいという。で、おかのさんの風体まで話し、「刻印を打っていない金を渡せばいいのに、ドジだねえ」。すると、親方は「そのドジはあっしなんです」。能役者の梅若礼三郎に似ていることから、“梅若礼三郎”と呼ばれる大泥棒。「真にすまないことをした。生まれて初めて、真心というものを知った。あした、名乗り出ます。任せてください」。両手をついて謝る“梅若礼三郎”。「ここに3両あります。これはちゃんとした天下の通用金です。訳を伝えて、渡してください」。それで奉行所に名乗り出たという。ジ・エンド。

義賊という言葉があったと聞くが、困っている人に金を恵むという行為には、恵む方も恵まれる方も両方に「情」というものが流れている。江戸の噺として割り切ってしまえばそれまでだが、殺伐とした現代だからこそ、こういう噺を聴くとグッとくる。少なくとも、僕はグッとくる。